摩詞般若波羅蜜多心経(般若心経)──訳の紹介

20年ほど前に母が亡くなった時に、般若心経を覚えた記憶があります。ただ、漢字の羅列。意味するところ良く解らない部分などあり。ある時、なにかの本の中にここに紹介する、心経の意味を分かりやすく訳したものを見つけて、ワープロでコピー。たまたま今日これを眼にして、あるいはこれを参考にしたいと思う方もおられるのではないかと、ここに。

 詞般若波羅蜜多心経──偉大なる知恵の彼方に到達する肝腎な教え

真理を観る眼の開けた大人はその深い叡智によって肉体も精神もすべて空であると照見して一切の苦しみ災厄から救われる舎利仏よ肉体は空を離れては無い空は肉体を離れては無い肉体はそのまま空であり空はそのまま肉体である感覚も想念も意欲も自我さえもその通りである舎利仏よすべては空であるから生まれることも無ければ滅することもない汚れもしなければ奇麗にもならない増えもしなければ減りもしないだから空の中には肉体も無く感覚も想念も意欲も自我も無い眼も無く耳も無く鼻も舌も体も意も無い色も無く声も無く香も味も触れられるものも想われるものも無い見る世界も無ければ曽て経験した世界も無い盲目的本能も無ければ盲目的本能の尽きることも無い苦悩も無ければその原因である愛執もそれからの救いもそのための修行も無い知ったというのも無ければ亦得たというのも無い本来得らるべき何ものも無いからである菩薩方はこのような徹底した叡智に依って心中なんのこだわりも無いこだわりがないから恐怖が無い恐怖が無いからあらゆる混迷邪念から救われて静寂なる境地が得られるのである三世の諸仏方もこの偉大なる叡智によってその尊厳な普遍的人格を自覚されるのであるだからよく知っておくがよいこの偉大なる叡智こそ最も神秘な呪文であり光輝ある呪文であり最高の呪文であり他に比類なき呪文であるしかもこの呪文が世の中のあらゆる苦難を排除することは真実であって一点の虚妄も無いではその偉大なる叡智の呪文を示そうーー着いた着いた彼岸へ着いたみんな彼岸へ着いたここがお浄土だった

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尻露出女先を行く

見慣れたものとなるはるか以前の、最初のひとりはそれはちがった視線を受けることになるだろうね。例えばの話、見慣れない奇矯とも思える髪型。、:現在では出尽くしのような感もあり、なにがでてきたところで、もう誰も度肝を抜かれるようなこともないと断言できる。そうした傾向は、もうはるか以前からのことだから髪などというのは例えも良くないが、いずれにしても見慣れない、度肝を抜かれるような、良く言えば「斬新」なものの登場に我々は出会ったりなどするわけですな。                                   これは斬新とは程遠いことではあるけれども、5、6年前のこと。近くの県立高校から帰るひとりの女子生徒の、こちらに与えたおどろき。正門の他に、グラウンド脇を通っても登下校ができる。住宅のある道は、学校側で行き止まりになっているから、人の通りは殆どない。そばに住む住民の姿も見ない時間が多い。グラウンド脇の階段を上がって、こちらの道に入ってきたその女子の行動が、なんとも。歩きながら、煙草をとりだすと火をつけた。制服姿、学校の至近。お見事、と言えるようなことでもない。場面として、相当に逸脱の大きな印象。では、男子生徒ならどうかと言えば、ありそうな景色ではある。そのあたりの男女による印象のちがいは微妙な部分だけれども、ともかくひとむかし前の感覚からすれば、その女子の行動、やはり度肝を抜かされそうなものになるんだな。                                                                 その点ではこちらも同じようなものだろう。尻見せパンツと言っても良いような、最近見かける女性のジーンズなど、腰部分の切り下げられたもの。腹の下部の次は尻。これもひとむかし前の感覚からすれば、という話になる。ここに「良い意味での斬新」か否か、などということを持ってきたら、その答えはこちらに求めないで欲しい、と言うしかない。                                  過日、いちおうは近辺と言えるちょっと離れた地域を自転車で走っていると、二十代の半ばほどとおぼしい女性が、髪をなびかせこちらを追い越して行った。と共に眼にいやでも入ってきたのが、尋常ではない尻の見え方である。締め付けるジーンズ上端ははろかに下がり、両の尻の間の暗がりがすっかりのぞけている。眼の保養などとたのしむ向きもあるだろう。趣味の問題が絡みそうだが、申し訳ない、こちらはこれ見よがしなそうした景色が苦手。信号の手前で先に走り出して、これで目障りなものとおさらばできるとひと安心したら、なんのことはない、あちらの方のエネルギーが勝って、またこちらを追い越して行く。 だがなんにしても、尻の間まで見せつけることはないだろう?

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その瞬間、のこと

生まれおちてから、死を迎えるその時まで、我々は生身の体をもって動きつづけ、生きつづけなければならない存在。ちょっと不都合なことがありますので、この生身の体からしばらく抜けさせていただきたいと存じます。可能でしょうか? 馬鹿々しい質問です。誰も、そのような頓馬なことを言い出しはしないですな。叶わないことを、誰もがご存知だからですが、それゆえにこそ、深刻な病、あるいは他の理由から、幼児から最後の時近い人に至るまで、酷過ぎるようなくるしみともたたかわなければならないことになるのは、何とも言い難いこと。魔法のように、その人に宿るくるしみ生むものすべてが浄化されて、清々しく軽やかな心身が与えられるならば、と切実に願うことです。                                               いずれにしても、われわれが与えられているのは、ひとつだけ。ひとつの生身の体だけ。たとえ10万年の命が与えられたとしても、どこまでもこの体、この「私」という人間のひとつのアタマとつき合い続けなければならない。果たしてそれを、ひとは望むものかどうか。そのひとつのアタマの今、この瞬間のことに、触れてみたくなった。この瞬間、あるいはその瞬間。                                                 何の変哲もない、いつもと変わりなく何事も起こりそうにない、起こるとも思えない時間の中にいる。例えば、電車の中。風景は過ぎて行き、おそらくは記憶に残ることもないだろう向かいの人々の顔など、漠とした感覚で見ているかもしれない。日常的な、ありきたりの流れの中。用向きのある街の駅に着く。ドアーの外に出る。電車は動き出し、そして、手元にあるべきはずのもののないのに、気づく。当のものは、走り出した電車の網棚の上。それは、用向きある場所にとっては、重要な書類。それを失くすることは、途方もない責任問題に発展する可能性がある。変哲のない日常の時間の流れが、急転する、その瞬間。生身の体は、逃げられない。アタマは、追うことを考えないといけない。恥ずかしいかな、これには個人的な経験が重なる。このようなことに触れたくなったのも、あるニュースを聞いて少々興味を覚え、思ったことなどがあったからである。                                  そのニュース。某県の県警交通捜査課の52才の警部補が、同僚と飲酒をした後に路上で居眠りをした。自身の感覚では、いかに酔っていたとはいえ、それ自体考えられないような状況であるのだが、そのさいに捜査情報の入ったカバンを失くしてしまう。その情報は、本部長通達で外に持ち出すことが全面禁止されているものであった、という内容。                                       さてそこで、ということになる。この52才氏、彼にとっての、その瞬間、はどのあたりにあったのか。現実に起こしたことの責任の重大さに、否応なく向き合わなければならなくなった、最初のその瞬間。そのアタマの中。彼が逃れられない、自身の身体を最も意識せざるを得なかった、その最初の瞬間。

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受けるイメージ、与えるイメージ

前日は、月一回の医者の日。採血、採尿。いつも通りのことをする。ちがうことがあるというわけではない。昨年の秋にそれまでの先生が開業をすることになって辞め、現在の女性の医師に診てもらうようになった。前の先生は必ず胸、そして体の向きを変えて背、と聴診器を当て、また足首あたりも手で触れてみるのが常だったが、今の先生は血圧をみるだけである。その医師にとって必要と感じるところがちがうようで、こちらとしては余計なことをされたり、要求めいたものをされない方が良い。たとえばこれこれの検査もしてみたらどうですか、とか。予防的な意味で役立つことがあるにせよ、そういうことには気が向かない。        持病を持って長いので、自身がどのようにするのがベストなのか、なにをしなければならないのか、良く分かっている。その良く分かっていることが充分にできないことが、良く分かっている。思う通り、イメージするようにはいかないのである。自分ができないことは、人もできないだろうと考える傾向と言おうかクセと言おうか、そうしたものがこちらにはあって、自分にとって難しいことは、他の人間にとっても同じはずだから、と見ようとする。だが、現実にはそんなことは全くないのであって、意志の強い確かな人々はいくらでもいるはずで、それからするとワタシなどははるか下位レヴェルとみていいところなのだろう。悲しい哉。                                       自分のすべきことができない。できて70パーセントくらいのところ。先生にも、それを言う。無理をすることはない、それで結構です。前の先生にも言われたのだが、どうもここのところは、辿っているラインが曖昧に映る。なにか気持が前向きにならない。改善しようという積極的な気持が起きてこない。コンディションにとくに変化があるわけではない、というのもある。                                「小林さんは、分かっていらっしゃるから」                                と先生が、言う。                                       血圧を測る他には、とくに言うことも、言われることもないような、その場。その通りです。自分がどうすれば良いのか、分かっております。それがこれまでのようにしかできないことも、分かっております。でも、やることにしようか?  70パーセントよりはもうちょっと。

病院に置かれていた健康絡みのパンフレットや小冊子の中に、5月15日自民党本部発行の「自由民主」があった。その後に起きたことからすれば、その一面に見える「美しい国」の言葉も、余計に遠く現実味の薄いものとなっているように感じられる状況のように思える。来年、洞爺湖で開催されるサミットについて幹事長が「美しい国づくりを目指す、安部内閣が開催するにふさわしい場所」と言っている。海外からの観光客に自信をもって見ていただける美しい眺めの日本、などというものがその国づくり目標の主眼などではないことは明らかだが、そういう言い方にしても伝わってくるものは曖昧である。                                   イメージで首相になった人物。それだけで通用するものか否か、現実問題に当面して馬脚を現わす破目になるとすれば、相応の力量なければそれは当然のことだろう。それに、例えばその幹事長。否彼に限らず、イメージとして、「美しい国」を目指すに良好な、そして望ましいキャラクターを備えたメンバーとは映らない。そのイメージラインに乗る精神性を感じさせる個性、存在性、それらなくしては先ずスタートラインにも立てないのではないか。言葉だけが浮いている空疎な印象を、与えるだけである。与えただけである。

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彼らは何者?

イランとアフガニスタンの国境。視界にあるのは、乾いた剥き出しの土だけが見える世界。そこに立ってしばしの時間、その大地の地平のかなた、限りなく向こうに、あの海に囲まれた島国を、そこに住む民族の膨らみある生活のイメージを重ね、思い、遠いむかし、見つづけていた時があった。いまでも、同じ場所に立って、こちらを見ている感覚に浸ることがある。                                                  この国の、今の時代。中枢で誰がどのようなことをしようとしているのか。どのような人間が、どのような素質をもった人々が、誰に向けてどのようなことをしようとしているのか。眼の端で、他の国々ではどうなのか、その模様なども追いながら、考えてみたりなどする。                                         ひとりの男が、言う。「美しい国、日本」。                           この男が、どういう人間であるのか、ワタシには、良く分からない。なぜに突如として、そのような表現をもってその理想の実現を言い出したのか、遠すぎて分からない。その理想の形がどのようなものであるのかも、分かりようがない。雲を掴むような話にも思える。分からないまま、イメージとして遠いままに、それを口にする男の顔を見る。                                       前回に触れた社保庁の問題。現実にどれほど多くの人々が、その無思慮な対応に今、現実の生活のなかで苦しまされているか。5000万件という該当者不明とされている数からも、容易に分かることである。そのことによって将来的にどのようなことが起きることになるのか、年金という何よりも生活に必要不可欠なものであること、軽率に心なく扱われるべきものではないこと、その認識が全く欠けた阿呆連中を、国民は信頼しつづけてきたということになります。。無残。これは単に悲劇などというものではない。言う言葉なし。むろん、「美しい国」を目指すここ日本では、このような国民への醜悪な仕打ちは当然許されるべきものではないはずです。その理想のために、正しい選択は当然とられるべきものでしょう? その言葉、その理想を口にする中枢の、あなた。

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Mary、aloneつづき

営々と日々の仕事はつづけられるのだが、そのはるか先に待ち構えているものは漠として、むしろあずかり知らぬことと考えもしない。いいやいや正しいものと確信しているので、漠などと映るはずもない?  いずれにしても、それは先々のワタシの生活に関わることではないもの、どこかのだれか様たちのことでしかありませんのでと、受け止めていたのかどうかは、不明。そこまでこちら詮索好きではないのだけれども、ともかく彼ら、本来ならば必要ではなかったはずの仕事、puzzule を解くようなものか、長くどこまでも続くトンネルの暗がりの中、手さぐりで進むような具合とも言えるものか、どちらにせよやることは同じようなものだが、それにとりかからなけれはならなくなっているという次第。でも、外では暴動は起きていない。                                             社会保険庁管理の年金保険料の納付記録、約5000万件、該当者不明。ここで、ノルウェーの画家エドゥアール・ムンク(1863-1944)の作品、「叫び The scream」をその間抜けと言うしかない保険庁の前に立たせていただきましょうか。                                                   数百万人規模の支給漏れが明らかになる可能性あり、とか。結構です。残りは? 膨大な数の残りは? おそろしい過ちであります。おそろしい無関心。おそろしい無能と言うしかない事態。

BBが、こんなに何日も姿を見せないのは、今までにないことと言っていい。ここ何日か9時になると蛍の光が流れて消灯される、運動公園内のこの広場に8時半頃行って、ひとりだけのMaryと一緒に薄明かりの中、BBが現われないかとあたりを見て回る。いないのにがっかりしつつ、石段に腰をおろして月など眺めながら、そばにやってきたり、芝生の上を突っ走ったり、そばの木に登ったりするMaryと一緒にいる。Maryは、時たま小さな声で鳴き声を上げる。相手を求めているようにも聞こえてくる。広い一帯のcat、いるのはMaryだけ。

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一枚の写真 Jisraeel Reens

What is life?  どれだけ繰り返されたか分からない。だが時には、何やら訳の分からない物悲しい思いにさせられるようななにかしらのことがあったりして、なんとはなしに思ってもみたいような。What is life? 数世紀前にもいた自身が、同じような思いにとらわれていた記憶もあるような。                                                  あの日は、オランダの北部の小さな町あたりで、乗せてもらっていた車の英語を話せないドイツ人とその車の中でだったか、夜を明かしたと記憶する日の次の日で、フロニンゲンを通り、ヒッチハイクでアムステルダムに着いた日。日本で知ったユダヤ系のアメリカの大学教師に教えられた彼の友人で、アムステルダムに住む二人のうちのひとりだったのがJis。                                 前回と同じにこれまたはるか昔の話。そうして、かつて知った人が今、どうしているものかと知りたく思うことがある。多分、なにも分らないだろう、とどこかしらでは思う。そうしたひととき。Jis のことを検索してみる気になった。そうして、表示されるその人の名前を現実に眼にする。地理的には、遠いオランダ。思わぬものを目にしたような思いも。Jacob Louis (Jisraeel) Reens 。自分の記憶とは、ちがう。でも、友人だったJaapは 「Jacob」 とJis のことをに触れた時に口にした記憶がある。そのあたりのことは、良くは分からない。私にとっては、Jis Reens 、それだけのことだ。                                              1999年に、亡くなっていることを知る。                                  あの日の午後、Jis はこちらの電話を受けてアムステルダム駅まで会いに来てくれたのだ。そして、駅の前方にあるカフェに入った。その時にワタシが撮ったのがこの写真。ちょっとポーズをとっていませんか、と言いたくなるような一枚だが、彼らしいと思う。14才年上のユダヤ人画家。

その時彼は、36才。私の知った2年ほどの、その後の彼がどのような人生を送ったのかを知りたく思い、それを問い合わせるに何処が適当であるのか、文字を追うのだがオランダ語は全く分からない。おおよその見当でE-mailのアドレスを見つけ、問い合わせのメールを送る。返信については、どちらとも言えないような感あり、送った先がどういう場所であるのか良くは分らない。その翌々日だったか、Jewish Historical Museum という所の女性の館員からメイルが届いた。2002年に彼の46点の作品が入ったこと。彼の写真はないということ。その写真というのも、ずっとのちの彼の様子を知りたくて、あるものならばと問い合わせてみたことなのである。                                               資料の中に「写真はない」という事実は、それではJis が可哀想ではないかという思いにさせた。そのひとが、どういう姿の人であったか分からないということです。人の記憶の中から、顔が消されてしまうことです。とてもかなしいことに思える。そうしたこちらの印象。彼がどのような 老いの時間を過ごしたのかは分らない。医者だった兄のPaulが力になってくれたことがあったのかもしれないが、恵まれた生活にあったとも思えない。想像する。思いめぐらす。彼の人生が、どういう時間であったのか。                                         あの日に撮ったこの写真をメイルに添付して送りました。資料に加えてもらえるものと思う。彼はこういう姿の人だったのだと、見る人に分かってもらえると思う。      こんなふうに、ふと思いつき、偶然に知ったことから、それがなにかの変化を生むきっかけになる、ということがあるとしても、この危うさ、定まりのないライン上を歩いているような、偶然の作用に動かされる運命のようなもの、ひとはそんなにたしかなところになどいないということ、そうしたことを思わされる。                    いずれにしても、Jisのためにひとつ良いことができた、そう信じたいと思っている。

タバコはCAMELだったJis

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或る人のこと

あの辺りの壁に、そのことが残るように刻みつけておく。そうした壁。思いつくのは、何故だろうか。そのようなことをせずに、ただ彼方に消えていった光を、ただinside に留めておくだけにすることもできる。                                              ひとの心の内に蓄積されていく記憶。それは、底なしの深みの中に置かれているように映る。埋もれていたものが戻る道を忘れることなく、甦ってくる。今度は、それが埋もれていくことのないように、辺りの眼に入る場所に留めておく? 涙が、にじみでてくることもある。                                       高校を卒業した日、腕時計をいただいたことを思い起こす。四谷の上智大学そばの土手に腰を下ろしていた。2002年2月17日に亡くなったことを、net  New  York Times の記事で知る。長いパーキンソン病とのたたかいのあとで、だったとか。当時はそんな未来があることなど想像もできないことであったのに。アイビーリーグは、ダートマス大学の卒業生。誇りを持っていたんだろうね。様々な思い出がよみがえる。

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Lucky

我が住まいには、代々、同じラッキーという名のオカメインコがずっと家族として住んできている。ここに来て6年目になる現在のラッキーが何代目になるのか、すぐには言えそうにないのであるが、トータル25年は過ぎていると思う。                                                                                                         その名前の由来を辿ると、はるか昔のことであるが、さる場所でただ話したことがあるだけの外国人の女の子。その子の名がラッキー。ニックネームとして呼ばれていた名であるのかもしれない。もう漠とした記憶しかないのであるが、その名が似合うような、なにか感じのよさがあったように思う。その名の印象が残った。                                                                                      もちろん、Lucky、幸運というとても良い意味を持つ言葉、その意味合いを託し、自身が好ましいと思う者に対して名付けたくもなろうというものである。ということも重なって、ペットの名はラッキーということになったーーーー。

Lucky、ということを自身が本当に感じることのできる場面がこれまでにあったかどうか、それはなんとも言えませんね。そうしたことがあつたにせよなかったにせよ、過ぎていくものは等しく過ぎて、そうしたことがあったにせよなかったにせよ、ただ異なる体験がそこにあるだけのこと、という見方もある。どちらにしても、たいしたちがいはないと。

意識する Lucky number 、というのはあるだろうか。自身の生まれた日。その数。根拠として、それに勝るものはないようにワタシには思える。ただ、その数を意識するのは、こちらの場合、horce race の時くらいのものかしれないですが。

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