昼のstream

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                                               高校の時、慶応の三田祭に行って入った絵画の展示会場。そこで見た一枚の油絵のみが、記憶に残っている。絵の印象はかなり漠としてしまっているのだが、そのタイトルと表現の仕方が風変わりだったからなのだろうと思う。タイトル、「平安時代」。大きめのキャンバスの左から右に向けて、一種のグラディーションのように、背景にあるものを象徴するような色の選択が行われていて、変化をつけて色が塗りこめられている。どこにも、なにか明確に形あるものが描かれていなかったように思う。ただ左から右に時間の推移を辿るように、背景を思わせるように色の変化が見られただけ。それだけに、そのタイトルから非常に印象に残ることになったように思える。                                             どのような人が、描いたものだったのだろうか。

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木洩れ日落ちるtable

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ジョルジュ・ブラッサンスのこと

若い頃から、名前は知っていたしあるイメージは持っていたけれども、それほど良くは知らないままにきたというのが、実のところ。ただ、そのイメージは記憶の中にしっかりとありつづけたということで、その時間にはまた何かしらあるんだろうと思うけれども。                                         何年か前の年の終わり頃、、映画中心であるけれどもビデオの貸出をやっている市立北図書館から、映画「リラの門 Porte des Lilas」のVHSビデオを借りてきた。そこで見て、そして彼の歌を聴いて、シャンソン歌手Georges Brassensを漸くにして確かめ見た、というようなことになるだろうか。映画の最初の場面が映し出されると共に、彼の歌が聴こえてくる。曲は、Au bois de mon coeur。酒場の一角で、ギターを弾きながら歌う彼の姿が見えてくる。カウンター前に、友達のピエール・ブラッスール演じるジュジュ。客はもう誰もいない時間。誰に聴かせるともなく歌い、弾いているという、自分の世界だけがそこにあるという風情。役名は、アルティスト Artiste。芸術家という名前が合っている風貌見せている。貧しいギター弾き。この映画、繰り返し見ました。返却日になると、また新たに借りる。50回以上は見たのではないだろうか。ブラッスールも好きだったし、ギターつま弾きながらのブラッサンスの歌も聴きたかった。それにフランス語への関心も湧いてきていた。モノクロの映画。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                

ブラッサンスは1921年の10月22日、南仏のモンペリエ近くの町で生まれている。この映画は1957年制作のものだから、この当時35、6才。生年を知る前には、40代に入っているのではないかと思っていた。額のあたりの髪は後退気味だったし、感情の変化を表情に見せない、思索家のような精神性を感じさせる雰囲気。映画を通して、ほんの僅かな笑みすら見せない、どこかいかめしくデリケートな内面を感じさせる男を、演じているのか、普段の彼もそれに近いのか、と想わせてしまうような印象。俳優というよりは、詩人であり歌手であるブラッサンスがその地のままに、なんとか演技をしているというところだったのだろうか。俳優であるブラッスールとは、対照的。その彼が歌う、何曲かの曲。これが、ブラッサンスなんだという思いで、こちらは関心をもって聴いていた。

ここにきてビデオで、彼の曲を聴いている。また聴いてみたい、ということからだったのだけれども、最初に聴いたのが、確かLes Passantes 。早いテンポで弾きながら歌っていく彼の曲のイメージとは異なる、抒情的に爪弾かれるギターのメロデーに、心をこめて言葉を区切るように歌いあげられていく、彼の晩年のものと思われるような一曲。1981年の10月29日に60才で亡くなっている彼だから、歌っている彼は50代。この曲に強い印象を覚えて、繰り返して聴きながら、映画「リラの門」の中で歌っていた Au bois de mon coeur、あるいは他のあれこれの曲などを聴いてみた。ブラッサンスという人のイメージに、もう少し膨らむものがでてきたように思う。

                                                                                       彼が作曲をしたのは、およそ250曲。そのうちの50曲は未完成ということのようである。歌うスタイルは、ずっと変わらなかったのではないだろうか。ギターを弾きながらの、力のある強い投げかけをもって歌う半面、どこか内気、内省的なパーソナリティを感じさせもするステージパフォーマンス。そうしたスタイルというのか、本来の姿のままとも思える彼。                                        ある晩年のビデオで、それはステージではなく観客に囲まれながらの、トークも入る仲間たちと一緒の中のもので、そのひとりのリクエストで Les passantes を歌うのであるが、そこではちょっと笑みを見せる場面もあった。どこか抑えられた、控え目に見せているような笑み。印象としては、やっぱり映画の中でのようなArtiste、普段も芸術家風貌のちょっといかめしくとっつきにくいような彼なのではないかな、と思わせる、そんな変わらない彼がいつもいるような印象。もちろん、こちらは、その一端しか知らないわけであるけれども。

                                                                                                    そのLes passantesを聴いていて感じたのだが、南フランス出身の影響濃いというその発音。一語一語区切るように、こちらには口真似のできないような微妙なフランス語発音をされるので、時によっては、ちょっとストレスを感じてしまいかねないところも初めの頃はあった。だが、思いこめて、刻み込むように歌いあげられているということでもある。まさに、ブラッサンスというところであるだろう。同じ曲を1958年生まれのFrancis Cabrelの歌できいて、こちらの滑らかな普通のフランス語の調子、そしてギターを弾きながらの曲に、すっかり魅了されてしまった。こちらに心地良さを感じて繰り返し聴くうち、歌詞にも慣れてきて、またブラッサンスの方を聴くと、今度は彼の方が分かりやすい発音のように感じられるようになってきた。そうしたこともあったりで、双方の歌い方それぞれをたのしめるようになってきている。                                

                                                             

ブラッサンス。やっぱりフランスの生んだ歌手の中では、特別な位置を占めている人のように思える。他とは、非常に異なるその個性。 

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                                                    考えたくはないことだけれども、出掛ける。電車に乗る。都心へと向かう。考えないことはない。突如として、周辺で思わぬことが起きる可能性は、全くないと言える?  まさか、有り得ない。思いつつも、そうしたことがよぎる現実があるのでは? 今は。通り魔。爆発。死者の多数出る事態。                                                サミット開催中の現在、今日など駅のホームにしても、警備の関係者の姿が見えていた。でも、こうしたケースだから、ということに限らない。なにか、いつどこでなにが起こるか分からない、という不安を思う時代に入っているように思える。今日は、お茶の水駅のホームにいた。なんと狭いホームなんだろう。そんな狭ささえも、気になる。                                                

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朝の記憶

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                                                   習慣のように、ではなく、そのものになっているあるパターン。足を向ける場所。いつ果てることもなく、ではなく、いずれは終わること。なんだけれども、いまはそこに足を止める、日々のあるサイクルの中。そう。いつかは、別の風景、あるいは、最早なにも見ることのない場所へと向かうに、ちがいないのだから。すべてが過去のものとなって。そうした運命を、夢のように、と感じる向きは多いのかもしれない。                                             ここにいる今、すでに重なる記憶、多すぎるほど。それがどの時のものか、分けることなどできないほどに。

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クルド人女性のこのような衣装

面白いな、と思えた衣装。大学でトルコ関係の講座を受講しているのだが、5回の講座での4回目がクルドのこと。ビデオなどの教材のない日で、2冊の写真集が40人の受講者に回されることになった。自分の処に回ってきたところで急いでページをめくりつつ、その間にデジカメで、ということだったのだが、他にはこういうことをやった人はいなかったようだ。その中の、一枚。あんまり良く撮れていなくて残念。でも、この衣裳の感じ、伝わることと思います。特徴のある装い方。クルド。あの地域。なにか色んな要素が見てとれそうな感じが伝わってくる。

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欠落ありの風景

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何か事が起きると、それが際立って見えてくる。「欠落」するもの。なにも起きなければ、まあ水面下にどのような模様があろうと、こちらからは見えないのと同様、推測をすることくらいはあるだろうけれども、実態は分からない。究極見えない。でも、完璧なものなどない、個々。人間の世界では、常になにかは欠けているものなんだろう。その欠け具合によっては、ままならなくなるということもあるわけで、そのマイナスエネルギー滾った処で、事が起きると・・・・・・・・。

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Parallel

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交わらない、というのが前提になっているようなんだね。そちらに入りたい、接触したいと願っても、絶対に無理、というご返答。そういう仕立てで、それは出来上がっているんだからね。それを崩したら、そもそもが機能しないわけなんだから、というようなことなんだ。勝手なことを言ってくるものでして。言い訳。相手を近づけないための、体の良い言い訳。そういうものなんだろうけれどもね。でも、そういう姿勢は止して、とりあえずは真ん中に行こうよ。真ん中に。

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紅色散れば

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なんということのない、雨上がりの路面。何となく眼をひかれてしまうのは、ほんのいくつかの紅色がそこに加わるだけで変わる、その場の印象による。他の色の葉とのコントラストが生まれ、ちょっと風情ある組み合わせを、こちらに思わせる。カメラなど持っていれば足を止めて、撮ってみようかな、となったりなど。

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ロコモーション

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move to 別エリア

十人十色。ということは、見方は、さまざまということ。その中の、あなたは一つの色、ということであるけれども、でもその内には別の色もあるかもしれない。もちろん、別のひとつの色だけでないかもしれない。そうした別の色をもって、別の角度から今まで殆ど無意識のうちにやりつづけてきたことを、ちょっと見直してみるのはどうだろうか。というようなことを実は、あなたに、ではなく自身に対して。柔軟性にも、物を考える力にも欠けるこちらの方に、改めて。

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なにかしらぶら下げてcornerを

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順番に通り過ぎていくんだね。なにかしら、見えるようで見えないものをぶら下げて。今日は、2008年4月22日火曜日。あるひとには、忘れ難いできごとの起きた日かもしれない。こちらにとっては、じきに忘れ去られてしまうような日・・・・・・・。

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人が良い色に染まって欲しい

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非常に人気があったという前の前のK首相、こちらは支持したことがない。個人的には、嫌っていたタイプ。そのあとも、今も好まないタイプ。今のF首相は、余計に訳が分からない。あくまでも個人的な印象。見方ですけれどもね。そうしたのが、この国のトップで、人の姿に希望も明るさも見られない。どうにかして欲しいと願いつつも、どうにかなるとも思えない現況。絵に描いた餅のようなものと分かっても、理想のリーダー、世の中を求めずにはいられない、こちら。

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昨日の夢時刻

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宇宙風エリア

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石を投げる。固くて重さのあるそれが、飛びこんでいく場所。落下場。それは空中にはありませんね。バタバタバタ、というような音もしない。たいていは、予測がついてしまう。早いか、遅いか、遠いか、かなり近くか。石などは空気ほどにも感じない場所か、ひどいダメージを与えてしまう所。諸々。この「宇宙風エリア」にも、試しに?                                      いやいや。石のことなどはどうでもいい。平和のことにしましょうか。人類の希求するもの。なのだが、限りなく不安なことに、完璧な平穏、平和状態があるとするなら、人はそれに耐えられるのだろうか、云々。刺激を求めて、争い出すあれらの、影見えて・・・・・・・・。この地上に求められるのは、どのような平和であるんでしょうか? 石が常に落ちていくもののように、現状が変わることは決してない? となると人類の根気がどこまでつづくのか、というようなことまでも想像したくなるのです。 

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今日はこのようなもので

差し上げたい、届けたいなと思うようなものをその美しさ、感じさせてくれる。誰に?  というその先には、地上のすべての人の顔が浮かんで、などということは言わないけれども、たいていのひとの心にはやさしいものがあるね。花を見て感じるような心。変わりなくあるものだと思うね。

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行先不確かなままに流れる

Question・・・・・・。                                             こちらから見て、救いようのない眺め。Mais、あちらでは、知った顔ではないふう。そうした眺めを、いつ果てることもなく見るさだめの、地の上。それとも、一万年後には、好転? 

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フロアーは絵画風

JR駅の南口にあるカフェのずっと内側の席から入口の方を見ていると、快晴の日で陽光が入ってくるせいか、そこに敷かれているカーペットの緑が明るく鮮明な感じに映った。それでレンズを向けたくなったのであるが、どうも画像にその感じは見えない。そういうこともあるんでしょう。                                             その店にいた時、小さなテーブルの上に開いていたPatrick Modianoの小説の上に、うっかりとちょっとだけながらミルクをこぼしてしまった。とろりとした感じのミルク。図書館からの借りもの。ページをくっつけてしまうようなことになったら大変と、瞬間、あわてました。さいわいテッシュで拭いたらすぐに乾いた感じになって、問題のないことが分かったのだけれども・・・。ところで、この画像を見てある人が、Modianoの香りがしてくると言ったのには、こちらもちょっとびっくりした。本のことを言ったからでもあるけれども、面白いと思って、なんだかそんな感じがしなくもないように思えてきたり。

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今も、アルゼンチンタンゴ流れて

実際のタンゴの演奏を聴いたのは、遙かなむかし、高校の頃に行った慶応の三田祭でのK・B・Rタンゴアンサンブルのものだけ。ヴァイオリンをやっていた私は憧れの思いをもってステージを見、大学に行ったら絶対にあのようなアンサンブルで、などと思っていた。結局、入学した大学ではそれらしきバンドを見つけることができずに、交響楽団。入学してすぐの5月の大学祭で、今は無い記念館でベートーベンの「運命」、シューベルトの「未完成」などを、一員として弾いていた。クラシックも好きであったし、それはまた別の経験で、思い出深い。                                                    けれども今も、やっぱりアルゼンチンタンゴには、特別な思いがあるのを感じている。高校の頃にgirl friendから借りたタンゴのレコード。例えばその中に入っていたアディオス・パンパーミア(さらば草原よ)。今でも、歌うことができる。ということは、それほどにそのレコードを繰り返し聴いたということだろうか。その他、「ラ・クンパルシータ」をはじめ、「夜明け」「バンドネオンの嘆き」「フェリシア」「たそがれのオルガニート」などタンゴの名曲がみんな入っていたと思う。自身の買った「カナロ・イン・パリ」など、シングル盤のいくつかなども、繰り返し聴いている。銀座の確かヤマハ楽器店だったと思う。そこで買ったミゲル・カロの楽団の12曲入ったLP。エンリケ・フランチー二のヴァイオリン、アルマンド・ポンティエル、ドミンゴ・フェデリコのバンドネオン、歌手のアルベルト・ポデスタ。ラウル・ペロン。それもよく聴いた。今はプレーヤーがないけれども、そのレコードはまだ手元にある。大学でやりたいと思い願っていたことが果たされなかった、ということもあるのかもしれない。タンゴに対する私の郷愁のような感覚は異様に強い。                              何年か前、ラジオでタンゴの特集をやった時に、一部をテープにとった。カルロス・デ・サルリ楽団の「バンドネオンの嘆き」、ファン・ダリエンソ楽団の「囚人14号」、他に「ジーラジーラ」「カミニート」など4、5曲。折に触れてもっと聴きたいと思い、近辺のCDショップなどで探してみたりなどしていたのだが、タンゴ、それもアルゼンチンタンゴとなるとごくごく限られてくるような印象で、店に置いていない。皆無に近いようなもの。                                         そうしたことがあったから、数日前に駅内で出店していたKIOSKのワゴンでアルゼンチンタンゴの3枚組CDを見つけることができたのは、幸運だった。                  私が何よりも先ず聴いてみたかったのは、アディオス・パンパーミア。何十年も前に聴いたあの男性歌手ののびやかな忘れがたい声、あの声、あるいはあの声のように歌われた懐かしのその曲。それに、再会したかった。だが、残念ながらそれを歌っていたのは女性歌手で、あの草原の彼方へと向かうようなのびやかさを感じさせるものではなかった。                                    全部で48曲。限られたものである。例えば私が今もレコードを持っているミゲル・カロのLPの中のものなどは、一曲も入っていない。おそらくは、私の知らない素晴らしい曲が数多くあるものと思う。それらタンゴの曲を、少しでも聴ける機会があればと思う。                                             これらのCD、私はまたどれほどに繰り返し聴くことになるのか、分からない。聴きながら、色々と考えたりもするのだろうと思う。なぜに、それほどに魅かれるのか。これまでの長い間、音楽と言えばクラシックやロックなど欧米の音楽の方に行っていたようなものだけれども、ここのところに来てのタンゴに対する感覚は、自分のもっと深いところに触れるもの、何故かは分からない。けれども、他のものよりずっと深く触れてくるなにかのあるもの。そうした聴くたのしみを与えてくれる音楽。ヴァイオリンも好き。バンドネオンも良い。思い入れたっぷりの、大人の男性歌手の深みのある歌いぶりにひきこまれる。哀愁を感じさせるメロディ。                                            むかしの、そのK・B・Rタンゴアンサンブルの演奏の時に、司会者が言った紹介の言葉を思い起こす。「・・・・・ヴァイオリンのすすり泣き・・・・・・・」。                   憧れが、ずっと変わらずにつづいているような思いもある。 

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今日のブルーデージー

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屹立/その逞しい太さに寄る

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水溜りのbranch

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石仏と白のストックに

供えられている花も季節と共に変わり、だが絶えることがない。いつも、供えられている。見ていて、その心を感じる。道路沿いの狭い墓地の手前に置かれている80センチほどの高さの石仏。宝永6年と刻まれているから、1709年であるその年から既に300年。それぞれに自身の家族の世代を遡ってみれば、それがどれほどに遠い過去の時代のものとなるか分かろうというもの。今日は、供えられたばかりという様子のストックの白さが眼をひいた。300年とは言え、一日一日の積み重ねがあっての時間、年月。供えられている花は、そうした積み重ねの流れを、思わせてくれる。

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未明、宇宙空間から帰還の夢

夢が夢にとどまらずに、いつか記憶の一部となり、それが甦ってくるときそれが夢の中のことであったのかどうか、自身でさえ分からなくなってしまうようなことがあるもののようです。またたとえ現実には起きることのないような途方もない場所、途方もない世界で起きたできごとにしても、それが甦るほどに記憶に留まるものとなるうちにいつか、それもまた自身の人生の体験の一部と言えるほどに、深く結びついたものとなっていくことがあるもののようで。                                                    

宇宙空間からの帰還は、おそらく初めて。

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balance/側壁に指などは立てない

坂道を上がって左。そこがだいじな待ち合わせ場所。金塊絡みで、ジャン・ギャバン似の人物登場の予定、と聞かされている。なので、この辺りで大型トラックなどに接近されて頑丈そうな側壁などに打ちつけられているわけにもいかないということ。変哲のない日常のお定まりコースを辿りつづけていると、少しは外れたくなろうというもので、ちょっと40年ばかりちがう時代の今日という日の、これはお話。

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Fatsia Japonica

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陽光紅の葉訪れる

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handmade/ひとつひとつのエピソード

仕上げられた小さなひとつひとつ。その技に感心しつつ、店の幅一メートルほどの外壁ウィンドーを見ながら、吹きこまれたいのちもそれぞれに宿っているかのような思いを抱く。丹念に心をこめて作られたものにちがいないから。

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梅花/チェリーピンクに呼び止められて

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BOOKENDS THEME/サイモンとガーファンクル

当ブログの1月15日に「冬の散歩道/サイモンとガーファンクル」というタイトルで書いていおりますが、曲の入っているアルバムBOOKENDSの中には他にも、「MRS. ROBINSON」をはじめ印象に残る曲がさまざまに入っていますね。                      その中で、忘れがたく心に残りつづけるのではないか、と思える人の人生にしずかに語りかけているようなBOOKENDS THEMEの言葉、その曲、その深く余韻を残す音楽的表現。いまそのような形のものを残した当時の彼らの若さを思うと、すぐれた才能であったことを改めて思わされて。

BOOKENDS THEME

Time it was,

And what a time it was,

It was . . . . .

A time of innocence.

A time of confidences.

Long ago. . . .It must be. . . .

I have a photograph.

Preserve your memories,