Death by hunging 3人

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法務大臣が3人の死刑が執行されたことを、発表。幼児連続殺人、保険金殺人などによる。もうこの者たちはこの世には、生きていない。犯罪を犯してから短い方でも、ほぼ13年程が経過しているこの間に、どのような心の変化を辿ってきた者たちであったのか。幼児連続殺人を犯した45才は、最後まで反省、改心をすることがなかったと聞く。被害者の遺族は、謝罪というような僅かながらの慰めとなるものも与えられないままに、当人に消えていかれたことになる。その人間が、最早この世にはいない、という新しい現実。自身の見えないあちらのさる場所で、加害者が延々と生きつづけている、という状況からの変化。でも、変わることはなにもないのかもしれない。命を奪われた最愛の者が戻らない限りは。

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「世も末」、と重ねる

前の記事のタイトルの「世も末と嘆きたくもなる」を見て、ふいと、それはこちらの場合についても同じことが言えるな、と思ってしまったのは、今回また明らかになった社保庁に絡む年金保険料の横領。これもひどいもの。こうしたことが人に与える絶望的な感覚は、深刻なものに思える。理性を危ぶむような輩が起こした犯罪というわけのものでもないところが、前記事のような場合とは、異なる。異なるけれども行われたこと、その犯罪の中身は、同じように「この世も末」の思いを抱かせるものである。あるまじきこと、なのである。                      国の非常に重要な役割を担った組織での、それも僅かな数にとどまらない犯罪であるだけにどうしても、われわれはいったいどういう国にいるのか、いたのか、改めてまた考えさせられてしまう。不幸な国民、と言わざるをえないと思う。                     常に言われ続けてきている、「改革」。あらゆる面に向けられなければならないものなのなんだろうけれども、見ていると、「人間にどこまでできるか」という普遍的課題に対しているもののようでもあるね。目標があまりに遙か遠くで、現実はきびしすぎ実現はあてどもなく遠い、そのようにしか映らない、かなしい哉。

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イギリス人女性の無念

目には目を、とひとは望む。極刑をもって、同じくるしみ、あるいはそれ以上のくるしみをもってその罪を償うべきであると、考えるはずである。とりわけ肉親を、また愛する者のいのちを、許し難い行為によって奪われたりした場合には。人間の世界では、不幸にもいつもどこかしらで、ひとをくるしめるできごとが起きつづけている。そうした事件を起こす愚か者がいる。個人に限らない、それは国であることもある、受けるくるしみや思いには、変わるところがないだろう。そうした人間ゆえの思い、辛さ。この地上を流れる時間の中、常に目には見えないながら空の下、満ち満ちてきていたのだと言えるのかもしれない。                                語学学校の講師をしていたイギリス人女性、リンゼイ・アン・ホーカーさんが22才の若さで、いのちを奪われてしまった。千葉県は市川市の、マンション。許し難いできごとである。国の家族がその事実を知らされる。どれほどに打撃を覚えさせられるものか、想像に難くない。事実として、残酷すぎる。                                          前にこのブログに少しだけ、唐十郎のことに触れて書いているが、彼の芥川賞受賞作が「佐川君からの手紙」だった。少しだけ読んだ記憶があるように思うが、殆ど覚えていない。この佐川という日本人の男に殺害されたオランダ人女性、そしてその家族のことを考えていた。彼らの心情が如何なるものであったか。当時、それほどに知らされた記憶がない。だが、身内の心情に変わるところのあるはずがない。                                   今度の事件も、傷まし過ぎる。

                                                                                               小林貞秋 記

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