空の線

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赤い階段

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いつでも、素直に動けるというものでもない。天の邪鬼。などという辺境住まいの生きものもいて、この土地はオレのもの、とふんぞり返っていたりすることもあるんだね。その鼻、潰してやろうか?  強硬に出たくもなる時もありますよ。だって、普通には良い人間らしく振舞いたいものだもんな。人の心情の良く分かる、心性の良い魅力ある人間らしくね。あんまり、逸れた処には行きたくないもんだ。でもそれがまた、むずかしい時があってさ。

(真新しく人の通行まだ許されないこの階段画像と、これらの言葉、無関係ですからね) 

                                                                                                                                                                           

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長津川公園の桜2009

一昨年の4月にこちらの公園の桜を何点かブログ上に。それ以来です。前回は海老川沿いの桜並木の画像も一緒だったのですが、毎年そちらにも行ってきておりますものの、今年は、思えばここのところそちらの方には、足を向けていないようですね。昨日、日曜日の昼、上野に花見に行ってきました。「カラオケ・楽器演奏禁止」の看板がでておりまして、人であふれている園内に聴こえるのは人の声ばかり。とても良い感じでしたね、そうした雰囲気。ガンガン音楽の音がひびくというような型のにぎわいではなくて。                                                 私の住まいから歩いて7、8分の、こちら長津川公園。屋台などがでるわけでもない。周りのウォーキングコースにあるテーブル、ペンチ。あるいはこちらが中心の、内に広がる芝生上に多く集う人々で、この公園ならではの花見ムードいっぱいだったようですね。                            

                         

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それは大切なことで

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花見day。広い公園内のこちらにシートを敷いて集ったシニアたち。全員六十半ば以上とも見える。良い時のことも良くなかった時のことも、苦労も、それはもう分かりあっているのさ。こんなふうにあったかく晴れた春の日に、一同介して、あれこれ語りながら飲む。気分良くないわけがない。                                                   良いなあ。「和」、なんて。  

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山門が分ける空間

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                                                                    9世紀初頭に空海によって開かれた真言宗。その豊山派のこちら、お寺。          その山門。すべてのひとに、開かれて。錠前がかけられることもない。そうして、その外と内の空気は、同じでありません。同じとは、感じません。こちらの空気は、ひんやりとして浮き立つものを、鎮めようとするかのような作用をする気配思わせて、それ既に、なにか異うもの。そうして、沈む色調の重い周辺模様に包まれるようにして、進める歩。そのようなイメージ伴う、こちら。                                         

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平井大橋からの眺め

浅草辺りが、好きである。運動を兼ねることができるので、自転車で行く方が多い。こちらから行くと、先ずは市川橋、江戸川区内に入って上一色橋。その次が江戸川区の平井と葛飾区の新小岩を結ぶ平井大橋。そして短い江東新橋。四つの橋を通る。                                              平井大橋は長い橋。荒川と中川放水路に架かる。                           これは、橋の上からの上流側の眺め。

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この右サイドを走っているのが、高速中央環状線。夜になると、高速のオレンジ色の灯りが、はるか向こうでカーブする先端まで点々とつづいて、眼にのこる夜景を見ることができるようになる。                                               ところで、通るたびに見てしまうのが、そのこちら、川との間に見える、ひとりがやっと横になれるスペースしかなさそうな手製の家。そうした場所であるから、電気も水道もない。

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どういう生活なのか、想像ができない。                                              人の姿を家のそばに見る。

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公園一夜にして湖 20 May 2008

船橋長津川公園、午後の画像。既に水がかなり引いている状態であるけれども、この様子。朝方は、風だけは強かったが雨は終えていた。公園、完全に水に埋没。さながら、湖。一角にある池、そこには魚が沢山いたのだけれども、どのようになったことか。水が引いた時に、池から離れた状態で。                                          昨夜の雨は音を聞いて分かっていたが、これほどの雨量になっていたとは知らなかった。公園がこのような模様になっているのは、見たこともない。

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balance/側壁に指などは立てない

坂道を上がって左。そこがだいじな待ち合わせ場所。金塊絡みで、ジャン・ギャバン似の人物登場の予定、と聞かされている。なので、この辺りで大型トラックなどに接近されて頑丈そうな側壁などに打ちつけられているわけにもいかないということ。変哲のない日常のお定まりコースを辿りつづけていると、少しは外れたくなろうというもので、ちょっと40年ばかりちがう時代の今日という日の、これはお話。

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倒立/それでも円柱立つ通路を抜ける

地上の至るところ、線がひかれている。あちらとこちら、ということになってあちらには勝手に入れない。ひとのすることにも線がひかれる。そこまでは許されます、という一線なるものが示される。ひとがひとをしばっているみたい、と5才にして早くも言う。みんなひっくりかえしてしまったら?  そこではひとはどんなふうにやっているものだろう? お考え、そこでフウセンガム噛んでる方に、お尋ねさせていただいても?

 

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冬の陽と海老川沿いの教会

陽が暮れると、教会の屋根に立つ十字架に赤いネオンがともされ、この薄い雲を押して輪郭を見せている冬の陽が、川面に映し出されているように、揺れている、あるいは穏やかな川面にその赤い十字のかたちをおとします。その印象には、強いものがあるように思います。

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そのeyesの先にあるもの

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inside/それぞれの輪郭

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内からの空

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Out of window

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新年/赤いフードの少女が見ている

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風景/2007年最後の日

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ボール/永久に落下することなし

それはpictureであればね。肖像画。そこにいるひと、変わらずにそのままの姿で千年の先までも、保存される限りは。当人の身は、消え去っていようとも。                                          でも、このボールは法則に逆らって、落ちなかったのかもしれない。などということは、ちょっとばかり妄想域でおかしくなっているひとでもないかぎりはね。言わない。

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水の鏡

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18 Dec 2007のWhite scene

そこの池のカモが、What's new?  ときくので、あそこの「城」の10階にいる税金泥棒に聞いてみな、と言ったんだとか。そこにいる「5000万人の代表」というnicknameの方が。でも行ってみたところで、逃げだしたあと、返答期待できずだと思うね。

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季節彩るcolor

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この紅(くれない)、季節の象徴色

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さまざまな紅葉。あるいは、この色づき。このくれないの色。美しい花の色とは異なるけれども、思わず眼をひかれる、とても刺激的な鮮明さをもった色であることはまちがいないという、いつもの印象。花には届かない、葉でしかないのだけれども。

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テーブルの上、落葉あり

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今年の秋も、もう終わり。2007年の秋。記憶に残るものと言えばなにがありますか?                                               運動公園でいつも会っていたcat、BBがいなくなりました。いつも会うと、やっとのこと出しているような声を洩らしていたところからすると、老いた先にあるあの方角に行ってしまったものと思えます。でなければ、消えてしまうことなどありえないはずなのですから。いつまでも、こちらの記憶に残るものと思います。

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color/あでやかさで負けない

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生まれながらに

美しい

と言われている

それがわたしたちの

宿命

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既にそこにある形から得るもの

Photo_2 人の手で生み出されたものをわれわれ、美術館などで見る。さまざまなスタイルで表現されたもの。興味深いことですね。人間の表現欲。その形としては、常に小さく限定されたものになります。私などがいつもイメージしたがる水平線。その360度というのも見ることのできる位置というのがあるでしょうが、それほどでなくても良い。その端から端まで届くようなサイズの人の手になる表現などというものは、見たくても叶わないもののようですな。そこで、それを可能にするにはどのような手があるか、人間のひとりである私も考えてみます。などということはする必要もないですか。別に誰もそのようなものは求めていない、ということとなると。                       我々、面白い、不思議な動きをしているものですよ。壁の内外で。表現なるもののために。でも、こと人間の手にかからない、そしてそれ、既に立派に表現されたに等しいもの、外にあふれているようにも思えるのですがね───。

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不思議現象の月ではない「月」

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9月9 日、日没後ほどなくして使い始めたばかりの不慣れな小型デジカメで撮ったものであるのですが、同じ時刻、同じ北西方向のもの。PCで露出を変えたりなどしてみたりしたせいでしょう、見かけは異なりますが、いずれにしても同じ時刻、同じ方向のものなのです。注意をして見ていなかったせいで気づきませんでしたが、一方に丸々とした月のようなものが写っている。このことが分かって、ちょっと信じがたい思いになったというわけです。月などは出ていなかったわけですからね。どいう現象?  考えても分からない。でもなにか理由はあるんだろうな。月のようなものの見えている画像の方の、斜め下の芝生が終わりになっている辺りの中央に、ちょっと白っぽい丸いものが見えるのが分かります。これもなにかの、つまりはこれ、運動公園内で撮っているのですが、ウォーキングのコース沿いに立っている円球形のライト、それと関係あるのではないか、などと考えれば考えられなくはない、とも思えるのですが。それと、この大きく見える月のようなものは?  あるはずのないものがあったわけで、余計に奇妙なまん丸に見えて仕方がないんだな。

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