Ditch
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花見day。広い公園内のこちらにシートを敷いて集ったシニアたち。全員六十半ば以上とも見える。良い時のことも良くなかった時のことも、苦労も、それはもう分かりあっているのさ。こんなふうにあったかく晴れた春の日に、一同介して、あれこれ語りながら飲む。気分良くないわけがない。 良いなあ。「和」、なんて。
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9世紀初頭に空海によって開かれた真言宗。その豊山派のこちら、お寺。 その山門。すべてのひとに、開かれて。錠前がかけられることもない。そうして、その外と内の空気は、同じでありません。同じとは、感じません。こちらの空気は、ひんやりとして浮き立つものを、鎮めようとするかのような作用をする気配思わせて、それ既に、なにか異うもの。そうして、沈む色調の重い周辺模様に包まれるようにして、進める歩。そのようなイメージ伴う、こちら。
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今朝のこと。ウィンドーの向こうに見える二人の人物。なにか、おかしい。そこに実際にいる気配。どうなのだろうかと近づいて行った・・・・・・・。いま改めて、このようにして画像を見てみると、向こうの壁に張られた写真であるのを、その時に確かめ見たはずであるのが、どうもそれとは別な形に映る。実際はどうだったのか。なにか、あやしい。
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そこに立つ。見る。ずうっと奥までの、深さの感覚。行ってみたくなる。それが行けども行けども、辿りつくことのない通路。その入口であるとしたら。などということを、ふいと思わないこともない。幾昼夜もかけて歩きつづける。その先に何があるのかを、知りたい一心で。そうして、ついには辿りついた先。だがそこはまた、新しい果てしのない通路の入口。限りなく繰り返され、終わりがない、ということが見えてくる。然様なパターンの想像。お話。よくありそうな展開のものではありますが、いずれにしても入口手前辺りで、向こうの様子を眺め、ちょいと想像を掻き立てられながらも、それを楽しむ程度にとどめて、通り過ぎる。そのあたりのところで、宜しいかと。
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今日、通りがかりに見た、近所の道路に面した建物前のこの模様。植込み、4、5メートルに渡る。毎年、このような具合に編まれる。相当に手間、時間のかかることに思われるけれども・・・・・・・。編むその人の根気に対して、敬意を払いたくなりますね。それと、興趣ある眺めを見せてもらえることに、感謝も、と言ったら良いか。
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確か、昨年の秋の頃。この場所で発生した交通事故によって、近くに住む男性が亡くなった。若い人だったのではないかと思う。その時には、沢山の献花、食べもの、飲みものなどがそこに供えられて、亡くなられた人が如何にみんなに慕われていたかを、思わせたものだった。その後も献花や供えるものの絶えることなく、人の心を感じていたものだけれども、今日気づいたことに、それが撤去されて、この貼り紙。 どうなんだろうか? いつも通る場所であるけれども、そこに献花他、壁沿いに置かれていた物が、何らかの障害があるように映ったことはない。むしろそのことで、人の心や、傷ましいことの起こらないことへの訴えのようなものを感じさせてくれるものとなっていただけに、放置物というような扱いを受けさせられることには、疑問を感じる。障害でもあるのであればともかく。心ある人の行為に対してとても冷淡、という印象は消えない。
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母親のMickyが、ペルシャ・トータシェル。だからこの一歳のBicとは全く姿が違う。別種という外見。でも、間違いなく親子。2009年3月16日。Bic、丸々と元気。、性格非常に良し。
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What would you do then? 雨も、過剰。それだけではない、強風も加わる。気力も、湧かない。という時には、What would you then? 壁を、見ている。そこに浮き出るMonsterめいたもの、左眼だけで、追う・・・・・。という辺りのところは抜けて、もうひとつ上の次元に突入。というのが、ベストなんだろうな。つまりは、四次元。
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狙われている、というのであれば姿を隠す。それも、ひとつの手。外歩くときには、顔見えないように、そこも覆う。それは、実に窮屈なことを強いられている状況ということになるでしょう。でも、まさかね・・・・・・・・・・。
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道沿いにある、とても古い小さな平屋の、かつてはなにかの店だった所。今は古び変色したカーテンが閉じられ、そこが出入りの所として使われている気配がない。カーテンの端が開いていたので、その間から中を撮らせてもらったのだが、なにか木工細工のもの、作られていたのだろうか? 今も作られているのだろうか? そのようなことを思わせる。かつては、狭いながらも店先であったはずのその場所。空間。いまも、そこで作業にかかるだろう人の思い。夢も、どこかに潜んだままであるのかもしれない。
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特別なことなど何もない。カフェのテーブル上。milkをこぼしてしまったんですねえ。それだけのことで、特別なことは、なにも無いのです。但し、このcolorのmilkはないでしょう。
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読み方の同じ、似たような文字。例えば、遍在と偏在。何故にこれほどまでに離れているのかと思えるほど、意味は遠くかけ離れている。正反対。 そうして、この遍在と偏在。人の心の在りようを問われることも多い方面、領域のことになったりもしますね。例えば、人間世界に非常に顕著な、偏った見方の刷り込み現象。それが見方を分けること、多いでしょう? そういうことなどもね。
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外壁滑らかであれば、そこに映るのは、傘の下の、U・・・・・・・。そういうことになるところが、まるで似つかないシルエットらしきものを、そちらはっきりと見ないで漠と感じたりなどなどしたら、それは次元を超えた世界入りのお話に傾くことになるのではない? そこに映るのは、「私」でなければならないのにね。ではあっても、妙な予感。ありえない予感を、時として覚えていたりすることもなくはないでしょう? 心の微妙な、危い揺れ、束の間あることも。
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