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2008年4月の投稿

「模範生だから」と書いた安藤鶴夫さん

安藤鶴夫さん。1908年、明治41年の生まれ。1969年に亡くなられているのだけれども、4、5年前に1967年の初めに発行された随筆集「百花園にて」を読むまでは、直木賞作家であることなど名前を知る程度で、著書に触れたことはなかった。                                      図書館から借りた「百花園にて」。その中の随筆のひとつをまた読みたくなって、今また借りている。もちろん、そのひとつだけではなく他のものも面白く読んでいるけれども、とくに読みたくなったそのひとつというのが、「わがトーニョー記」。糖尿ではなくカタカナ書きにしているところには、なにかしらの思いもありそうなのだが、その最後の一行が、                             

「たぶん、わたしが、山本先生の模範生だからだと思っている。」

その言葉が、彼のことを思う時の私の印象に強くある。医師の指示通りに治療に励む模範生。そのように思っていた彼がしかし、その3年半余りのちには、亡くなっていること。まだ60才。そうしたことに、なにかものがなしい思いにさせられるところがあるようである。健康でありたいという願い。それに対して、彼は意志強く、自身が成すべきことをやっていたことがその言葉に見えるから。初めからそうであったというわけではないとしても、そこに至った先にはずっと、これを書いたのちにも正しく配慮をしつづけたにちがいないから。 そこに関心がいってしまうのも、自身も同じ糖尿病で意志の弱さを、はるか以前から変わりなく感じつづけているからでもある。                   この「わがトーニョー記」を読めば、発症の要因も、それからの経緯も分かるのであるが、「模範生」と自認できるまで頑張った彼、それでもそれから数年後には少し早すぎる年齢で亡くならなければならなかった切なさのようなものが、思われてしまう。生きていたその人の日々に、思いを馳せてしまう。

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消防隊員/ 壁、もう前には進めない

いつも通る市の中央消防署の分署前。昼の時間、あたりに響く隊員の訓練の声。消防車、救急車、合わせて八台分ほどの車庫の上の空間にはロープが左右に張られ、下掲の画像のように隊員たちが、手でロープを伝いながら左から右方向、また逆方向へと渡るのである。その時には、鍛えられた腕力が必要になるだろう。声を上げながら、必死で可能な限りのスピードをだして、渡りきろうとする。3階あたりの高さになるのだろうか。                             右サイドには事務所のある建物。左サイド、つまりは車庫の左側はコンクリートの高い壁。その壁もまた、隊員たちの伝い上がっていく訓練のためのもの。それら左右の壁や建物の間の高い位置に渡されているのが、そのロープ。通りがかり、下から見上げる者にレインジャー部隊の訓練をイメージさせたりなどする、その隊員たちの姿。励まし、叱咤するような声が飛び交う。                                        さすが鍛えられていると思わせる動きを見せて、いつ見ても左から右、右から左へと隊員たちは懸命にロープを伝って前進していく。力萎えて進めなくなる姿を見ることなど考えられないのである。                                            ところが昨日の昼近く、通りがかりに見上げた時、なにかいつもとちがうことがそこで起きていることが分かったのである。右方向へと向かっている隊員が、ゴールになる端まで5メートル位手前で、動けなくなっているのだ。どうしてそのような状況になってしまったのかは分らない。連続して往復するような訓練をすればあるいは、完全にバテてしまう者がでることも考えられる。そうでもなければ、そのように動けなくなるというのは考えられないように、見ていて思えたのだが。ともかくその隊員は力尽きたように手はロープを掴みながらも、両脚にはロープに絡める力がないように垂れ下がらせたりなどしている。端にいる隊員たちは、なんとか奮い立たせようと声をかけているのだ。その声を受けて1センチでも前に進もうとするかのように懸命にロープにかけた手に力をこめて体を前に運ぼうとするのだが、もう全く、その1センチでさえ進めないという様子。でも、端に辿りつかない限りは終わらない。止むを得ない、助けてあげるとするか、となる気配は全くない。当人が死にもの狂いで最後までやりとげるしかないのである。                                          どうなることかと、こちらは立ち止まったまま成り行きを見ていた。二十代という年格好の隊員のように思えた。動けないでいる間にも、少しは力を蓄えることができたのか、そのうちには無い力を振り絞るようにして前進。だが、2メートル位に近づいてもうすぐに終わり、という所に辿りつきながら、もうどうにもならないほどに力を使い果たしたふうに動けなくなっている。待つ隊員たちの、励まし叱咤する声もまた、懸命。あたりに響き渡るのである。こちらも、そうした隊員の力尽きたような姿を見るのは初めて。今は四月、訓練を始めて間もない隊員だったのだろうか。彼は、明らかに限界にあった。もう動けなかった。力を使い果たしていた。だが、声をかけはするが誰も手を貸すことはなく、当人が自身の力で端に辿りつくまで、終わることはないのだった。

こちらの画像は以前に撮った同じ分署でのもの

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なにかしらぶら下げてcornerを

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順番に通り過ぎていくんだね。なにかしら、見えるようで見えないものをぶら下げて。今日は、2008年4月22日火曜日。あるひとには、忘れ難いできごとの起きた日かもしれない。こちらにとっては、じきに忘れ去られてしまうような日・・・・・・・。

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人が良い色に染まって欲しい

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非常に人気があったという前の前のK首相、こちらは支持したことがない。個人的には、嫌っていたタイプ。そのあとも、今も好まないタイプ。今のF首相は、余計に訳が分からない。あくまでも個人的な印象。見方ですけれどもね。そうしたのが、この国のトップで、人の姿に希望も明るさも見られない。どうにかして欲しいと願いつつも、どうにかなるとも思えない現況。絵に描いた餅のようなものと分かっても、理想のリーダー、世の中を求めずにはいられない、こちら。

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昨日の夢時刻

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自民二世議員半数以上という国

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それが、与党の国。一方では生活苦に一層追い立てらるひとびとが増えて行こうという状況。こういう国になってきているのです。そんなことがあって良いもの?  信じがたい。それが国民の選択の結果だなどというのは。なにかがおかしい。なにかがおかしい。・・・・・なにかがおかしい。ひじょうに劣等、と思われる匂いがふんぷんとする。

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宇宙風エリア

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石を投げる。固くて重さのあるそれが、飛びこんでいく場所。落下場。それは空中にはありませんね。バタバタバタ、というような音もしない。たいていは、予測がついてしまう。早いか、遅いか、遠いか、かなり近くか。石などは空気ほどにも感じない場所か、ひどいダメージを与えてしまう所。諸々。この「宇宙風エリア」にも、試しに?                                      いやいや。石のことなどはどうでもいい。平和のことにしましょうか。人類の希求するもの。なのだが、限りなく不安なことに、完璧な平穏、平和状態があるとするなら、人はそれに耐えられるのだろうか、云々。刺激を求めて、争い出すあれらの、影見えて・・・・・・・・。この地上に求められるのは、どのような平和であるんでしょうか? 石が常に落ちていくもののように、現状が変わることは決してない? となると人類の根気がどこまでつづくのか、というようなことまでも想像したくなるのです。 

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今日はこのようなもので

差し上げたい、届けたいなと思うようなものをその美しさ、感じさせてくれる。誰に?  というその先には、地上のすべての人の顔が浮かんで、などということは言わないけれども、たいていのひとの心にはやさしいものがあるね。花を見て感じるような心。変わりなくあるものだと思うね。

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ターミナルという発着の場

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ここ、バスターミナル。円形にぐるりと、各方向への発着の場。JR駅からここにやってくるには、エスカレーターか階段でこちら側に向かう通路を上がり、再び下方のこのターミナルへと階段かエスカレーターで下りてくることになる。ここは、他の場所からは入れない島みたい。                                                                         

                                              世界中の全ゆるターミナルが見えてくる場所。人のドラマも。百年前のある国のある地、「今日」の日にターミナルに立っているそのひとの姿・・・・・・・。

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地下通路延々

この地下の通路を通らなければ、行く先に行けないというわけではない。午後の時間。別のルートを行く代わりにこちらを選んだのは、この無人の、そして普段は見ない様子のこの中を、ちよっと行ってみたいような思いがしたというそれだけのこと。壁、天井、床しかないような、そうした部分がこの通りの電光に浮いて見える通路。ここを口笛など吹きながら行く。あるいは、黙々と殆ど殺風景な眺めの中を行く感覚で、なにかしら数えられるものを見つけて、その数を追っていくというようなことをやりながら、進んでいく。ああ、ポケットにチョコバーがあったっけ。忘れられていたものが、ひょいと浮き上がってきたりなどする。三キロも四キロもつづいているのだ、この通路。おんなじデザイン。向かい方向から、こちらの命を狙う見知らぬ何者かが現れないとも限らないのではないか? ありえないこととは思いながら、可能性ゼロとは言えないだろう? そんなことはない、そんなことはない。思いつつも、人と出会うことはなさそうな、その通路のはるか前方から、やってくる何者かに気づくと、なんだか不安になってくる。遠目に、どこかこわそうな気配・・・・・・・・・。

                                                    むかし、17歳の頃。住まい近辺の人の姿のない路上に、突然現われた見知らぬ10人ほどの同じような年齢のグループに取り囲まれ、リーダーらしい者に、なにか訳の分からないことを言われて殴られたことがあった。不可解な体験。                                      

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