片づけものをしていたら「馬込文士村散策のみち」と題されたパンフレットがでてきた。東京の大田区土木部管理課、昭和63年3月発行。区立の馬込図書館あたりでもらったものだと思うけれども、発行日を見て、これを手にしたのがいつの頃のことだったのかを改めて知った。
パンフレットには「馬込文士村」命名の由縁について、「大正12年に、尾崎士郎と宇野千代さんが結婚して新居を構えたのが東京府荏原郡馬込村(今の大田区南馬込)です。その後川端康成、山本周五郎、室生犀星、萩原朔太郎といった文士たちがこの地に移り住み、馬込村は文士の交友が盛んに繰り広げられる場所となり」、近年になって「馬込文士村」と呼ばれるようになった、とある。 1979年に私は大森からその南馬込に越したのであるが、それまで文士村については知らなかったのではないかという気がする。記憶が定かではないが、馬込図書館の一角には「文士村コーナー」があったりで、関心を抱いて訪れ、その関係のものを借りたりもするようになった。そうして知った、その地に於ける彼らのさまざまなエピソードなど、やはり興味深いものがあった。何よりも、ここに載せたマップのような文士たちの住所地を見るうち、自身の住んでいる場所 と明らかに一致すると思われる人のいたこと。
4丁目の49に片山達吉、の名がある。私の住んだ家と同じ番地、同じ位置である。何の知識もなかったが、調べて見て、銀行につとめながら文芸評論家として活躍した人であったということを知った。ちょうど、道路の斜め向かい側に川端康成の名があり、その殆ど隣りとも言える辺りに往年の俳優、池辺良さんの父親、画家の池辺釣の名がある。私の住んだ家は家としては末期にあるような古さで、9年ほど住んでそこから越したのも、取り壊されることになったという理由による。それほどだから、その片山氏が同じ家に住んでいたということも、充分に考えられるように思えるのである。1980年代当時からしても、はるか昔のこと、私の住んだ家の手前の臼田坂にしても、当時は土の道でおそらくは下駄などをはいた着物姿で彼らの誰かは歩いたものなのだろうが、ただそうしたことを想像させるだけの、多分当時の面影はどこにも残されていないのではないか、と思わせるような現在の眺め。だが、そこを彼らが通り、近辺に住んでいたのは確か。なにか残るものを、今のその地に重ねていることがあるのだった。このマップ一帯に見える名前の多彩なこと。やはり並々ならない、特異と思われる現象、と言いたくなるものがあったように映ってしまう。 私の住んでいた家のすぐ近くには日本画家の川端龍子(1885-1966)。私はその住まい跡に建てられたものと思える、歩いて2分とかからない見上げるほどの彼の大作並ぶ龍子記念館に、時たま出かけていた。往時を身近に感じることのできるような、場であった気がする。管理する身内の方であったと思う。夏の頃など窓を開いていた、その館内の休憩席に腰を下していると、お茶を運んできてくれたりなどした。そのようなことも、思い起こす。
家の前の臼田坂ということでは、坂上の方に住んでいたらしい俳優の長岡輝子さんが住まいに向けて歩いて行く姿を、見かけたことなどもあったけれども。ついでながら、すぐ近くで車がエンストを起こしたらしくどこかで聞いたような声を上げている、やはり俳優の田中邦衛さんを、見かけたことなどもあったり。 9年余住んだ、懐かしい地である。
1986年頃の臼田坂
最近のコメント