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2007年10月の投稿

肌の微妙/見るほどに

人の手になるもの、素晴らしいものの多々あることは、承知。そして 人の手になるがゆえに、その価値もあるということなのですが、なんだかその向こうにある自然や風景、人間の手に依らずに生まれたものの魅力に触れていると、それも敵わないかなと思えてしまうようなこともありますね。時にそれは、途方もないスケールのものであったりしますから、小さな空間の中でしか、動けず、生みだせない人間とちがって。どうも人間が表現したものに限ることの、狭さのようなものを感じる傾向が、ワタシなどにはあるようなのですが───。

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女の子/午後の時間

紳士の向こうの

隣席

母と子

ここには音がないね

女の子の

小さなモグモグ

聞いてみますか 

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相撲部屋/異常な事件

当ブログの9月29日、「異様な世界の異常な死」において触れた、ひとりの若者の死を巡る出来事。どのような背景に於いてそれが起きたことなのか、われわれはただ推測してみることができるだけに過ぎないけれども、自らが直接、間接に殺人を実行しつつあることに自覚のない精神状況というのは、どのような場合なら考えられるかを思う。親方、そしておそらくは再び土俵に上がれることはないだろう、兄弟子なる者。なにが彼らを、一線の向こうまで行かせていたのか。

いずれにせよ、人間性の破綻をさえ思わせるこの親方にして──というのがそもそものこの事件の本元、ということなのではないだろうか──。最早、取り返しがつかない。

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トリプル─ちょっと添えたいだけの

だだ、この色づきに魅かれて、このあたりに置いてみたいというだけのところです。植物関係のことに不案内で、名前も知らず。通りがかりに道脇に見えたのを、腰をおとして撮った記憶があるのですが、どの辺りだったのかも覚えていない。                                           トリプル。などというと、パープルのひとつを巡り、赤の二つが微妙に絡んで、などということを、人間は考えたりなどする。ここでは純粋にただ、三つ。それだけ。

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土の壁を前にする

時たま通る道路沿いの、この壁の眺め。思えば捏ねた土をこのように壁に塗りこんで家が造られたのは、遠い昔のはなし。No more。消滅していくだけの運命にあるもの。ならば、残されているものは、どのような形を見せているものであれ貴重ではないか、という思いを抱いてしまう。

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ひかえめな、だが麗しい色づき

                                                                                                                        Photo_4                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         何ミリもないような小さな粒。そんな粒の集まり。一つの細い枝に沢山見える。道路沿いの家の敷地際から、低い細い枝がこちらに伸びている。        どこかしらには、新しく加わっているものもあるのかもしれない。だが、道に沿って見える木や草花の模様は、毎季節、変わりのないもののように思える。今の季節なら、もうちょっと先のあの太い樹の幹の色具合、辺りの草の様子はこんなふうと、記憶のままに思い描くことができる。通りなれた、この辺り。                                                          この敷地の家には道路際に、はるか以前に亡くなったあるじが、そこで大切に花や植物を育てていた名残りの温室がある。50代と思える独り暮らしいその息子の姿が、そこに見えたりなどする。なにするともなく、ちょっとさみしげに映る様子を見せて、ただ腰をおろしたりなどしている。

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中山ハイセイコー像足元の特異なカップル

午前中、中山にちょっと。京都の秋華賞の馬券などを買いに。曇り。最近は時たましか行かないのであるけれども、いつに変わらぬ辺りの様子。門前の広い市川松戸道路の信号両サイドには、いつも見る警備員の顔も見えて、競馬好きそうな老若の者たちが、たのしみありげな表情で入口へと向かっていく。たいていは、今日もどうもイマイチ、あるいは損はしたけれどもたのしんだんだからまあいいさ、などと胸内で思い思いにつぶやきつつ、そこからでてくることになるんだろうな。                                              こちら、たまたま大きい蜜柑をひとつ持っていたのである。それと二センチとない、途中の路上で見つけてしまった粒のような、でもそれも蜜柑であったもの。二つをそこでカップル仕立てに。ハイセイコーは、パドックを向こうに、いつもの姿。

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既にそこにある形から得るもの

Photo_2 人の手で生み出されたものをわれわれ、美術館などで見る。さまざまなスタイルで表現されたもの。興味深いことですね。人間の表現欲。その形としては、常に小さく限定されたものになります。私などがいつもイメージしたがる水平線。その360度というのも見ることのできる位置というのがあるでしょうが、それほどでなくても良い。その端から端まで届くようなサイズの人の手になる表現などというものは、見たくても叶わないもののようですな。そこで、それを可能にするにはどのような手があるか、人間のひとりである私も考えてみます。などということはする必要もないですか。別に誰もそのようなものは求めていない、ということとなると。                       我々、面白い、不思議な動きをしているものですよ。壁の内外で。表現なるもののために。でも、こと人間の手にかからない、そしてそれ、既に立派に表現されたに等しいもの、外にあふれているようにも思えるのですがね───。

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夢のように蝶、花に恋する

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空気よりも軽いのではないか、蝶。広げる羽の立てる音、花びらに止まる音、確かに発せられるものではあるだろうけれども、それまた考えられないほどに、数万キロ彼方の爆音のように遠く、届かない世界のもののよう。そこで進行していることに気づく人もまた皆無。神でさえご存じないことだろうな。赤い思いの炎など、どこにも見えないものだしね。そもそもそのような思いがあるのかどうかも夢の世界のことのように、地の果ての彼方ほどに見えることがない。                                           なんてことを思うのは、あなただけかもね。その花や蝶のはるか下の方で、天上世界を見上げるみたいに様子をうかがっている永遠のような暇時間を過ごす名のない生きもの。その眼。みんなわれらの知らない、別次元の世界のお話ということになるんだろうな。

                                           

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