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2007年9月の投稿

異様な世界の異常な死

出会いというのは、とても不思議なものでありますね。おそらくは絶対に結びつくはずのない者同士が、例えば昨日まではるか遠く離れた国にいたあのひととこのひとが、今日銀座のあの地下の店で隣り合わせて、あるいは深いつながりの端緒がそこで生まれることになっているかもしれない。愛。運命的なものとなるかもしれないのです。たとえばのはなし。でも、あんな処には近づかない方が良いよ、あなたの人生を狂わせすべてを失うだけだよと運命の神様なるものが、何処かでもどかしげに伝えようとしていたはずの出会いというのもあるわけなのです。それが当人には伝わらない。姿の見えない、その神様。当人は知らずに近づいて、ついにはその出会いに翻弄されて、命さえも失うことが起きてしまう。                                                大相撲の某部屋で17才の命を失うことになった、私と同県出身の斉藤俊君のご冥福を祈りたい。ご家族の無念を思う。

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破れジーンズ・背後に見てしまうもの

ひとつのファッションという見方もできるものなのだろう、男女のジーンズ。意図的に破り、襤褸めかせて見せて穿く。剥き出しの膝をのぞかせ、腿をその破れた部分から見せる。尻さえもその手でのぞかせ見せようとする挑戦的な穿き手もいるようである。                                              過日、道路の向かいを歩く姿を見た二十代の半ばを過ぎていると思しい女性。すぐ近隣の住まいで、ちょっと用で出てきているという身なり、様子である。ごく普通の、感じの良い女性。だが、そのジーンズの膝あたりの無残。意図的に襤褸めかせて仕立てたその生地の抉り方は、おそらくはこの文化圏ならではの、ある意味先端的なところにあると見ることもできるなにかではあるのだろうが、別の感覚からすると目を覆いたくなる、正視に耐えないものと言うしかない。美しさの何たるかを知る文化圏の感覚になってみるとするならばね。なんとそこからは遠いことかと、ふと愕然とする思いになったのだ、その、ごく普通の女性の外れ具合に見えたものに。

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この微妙な形見せるもの

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あるひとつの対象をずっと追い続ける、ということはその対象をさまざまな角度から見るということもするようになるということでしょう。ヒョイッとそれまで見えなかったものが見えてきたり、新しいイメージが加わったりして、だんだんに膨らみがでてきそうです。そんなふうにして一篇の詩も生まれるのかもしれません。                                                                                  いつ、どこでどのようにして見たのか、どのようにして感じたのか思い起こせない、だがあの辺りでと見当のつくようななにかの記憶、なにかの時に色や匂いに触発されてそのようなものが甦ってくるということがあるものです。そんな時にも、宝探しのように記憶の中のその本当の在り処を追って、そこについには辿りついてみたいような。だが、いつもただ、ある方角を漠と眺めやるだけで、結局はそのままただ通り過ぎてしまうだけのようなのです。  

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「穴があったら入りたい」、という種の体験

あちらに見えるこれぞ望ましい誰が見ても頷ける、少なくとも可もなし不可もなしの演技、あるいは行為、あるいはこしらえもの。それはなんであっても良いのですが、ともかく途方もないような失態と感じさせないものであれば、最低限度宜しいのです。本人がそれと感じなければ全然問題はない。鈍感であるほど、しあわせなことはないのかもしれない。ところがその時には感じなかったようなことが、後々になって漸くにしてその行ったことの何たるかを思い知らせるような頭のもたげ方をすることもあるのですな。赤面の至り。悶えたいほどに効きだしてくることもあるのです。ああ、「穴があったら入りたい」、そのような攻撃に苛まされるようなこと。                                             そのようであるのかもしれない、そうでないのかもしれない。今度のさる国トップの辞任の仕方には、ご同情と共にそのような気配なども見る向きがあるようですが──まあ、ひとのことはともかく。

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不思議現象の月ではない「月」

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9月9 日、日没後ほどなくして使い始めたばかりの不慣れな小型デジカメで撮ったものであるのですが、同じ時刻、同じ北西方向のもの。PCで露出を変えたりなどしてみたりしたせいでしょう、見かけは異なりますが、いずれにしても同じ時刻、同じ方向のものなのです。注意をして見ていなかったせいで気づきませんでしたが、一方に丸々とした月のようなものが写っている。このことが分かって、ちょっと信じがたい思いになったというわけです。月などは出ていなかったわけですからね。どいう現象?  考えても分からない。でもなにか理由はあるんだろうな。月のようなものの見えている画像の方の、斜め下の芝生が終わりになっている辺りの中央に、ちょっと白っぽい丸いものが見えるのが分かります。これもなにかの、つまりはこれ、運動公園内で撮っているのですが、ウォーキングのコース沿いに立っている円球形のライト、それと関係あるのではないか、などと考えれば考えられなくはない、とも思えるのですが。それと、この大きく見える月のようなものは?  あるはずのないものがあったわけで、余計に奇妙なまん丸に見えて仕方がないんだな。

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「世も末」、と重ねる

前の記事のタイトルの「世も末と嘆きたくもなる」を見て、ふいと、それはこちらの場合についても同じことが言えるな、と思ってしまったのは、今回また明らかになった社保庁に絡む年金保険料の横領。これもひどいもの。こうしたことが人に与える絶望的な感覚は、深刻なものに思える。理性を危ぶむような輩が起こした犯罪というわけのものでもないところが、前記事のような場合とは、異なる。異なるけれども行われたこと、その犯罪の中身は、同じように「この世も末」の思いを抱かせるものである。あるまじきこと、なのである。                      国の非常に重要な役割を担った組織での、それも僅かな数にとどまらない犯罪であるだけにどうしても、われわれはいったいどういう国にいるのか、いたのか、改めてまた考えさせられてしまう。不幸な国民、と言わざるをえないと思う。                     常に言われ続けてきている、「改革」。あらゆる面に向けられなければならないものなのなんだろうけれども、見ていると、「人間にどこまでできるか」という普遍的課題に対しているもののようでもあるね。目標があまりに遙か遠くで、現実はきびしすぎ実現はあてどもなく遠い、そのようにしか映らない、かなしい哉。

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「世も末と嘆きたくもなる」、の言葉

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異なる人種というのが人間の間にはあって、理解をしあうのが非常に難しくなる場合があるようです。もちろん同じ人間同士、非常に良く分かり合えることもあるわけで、そのようであれば、問題はない。問題は、理解不能といえるくらいに離れている場合でしょう。                                            今日の某新聞朝刊の一面コラムは、「世も末と嘆きたくもなる」の言葉で始まっています。名古屋で起きた闇サイトで知り合った3人が、若い女性派遣社員を拉致殺害したことに触れています。真にごもっとも、と思われることが書かれています。じつに無思慮な愚かしい連中。それは言うまでもないことであり、現実にやったことは、極刑妥当なこと。だが、それは、哀しいかな、こちらサイドからの眺め。どのような背景からついには、人間らしい心の欠片もない異様な種へと変化をするに至ったのか、そのあちらの闇。そこが見えないと現実に起きた事件も分からない。新たな闇をつくりだす場ともなるような展開を見せる社会、世界というものも見え隠れする危うい現状のことも、思わなければ。

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