考えるものだなあ
こういう発想、出てくるようでなかなか出てきませんよ、多分。ワタシは、切り裂いたりはしませんね、多分。ところで、これは初めからこういう形だったのでしようか? 疑問。
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こういう発想、出てくるようでなかなか出てきませんよ、多分。ワタシは、切り裂いたりはしませんね、多分。ところで、これは初めからこういう形だったのでしようか? 疑問。
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広い交差点で待っている時などにさ。何気なく覗き込んでみたくなったりすることがあったりするものなんだね。別にどうということのない何かなんだけれども。そばに立つ何かしらのその表面だったりさ。ふいと過ぎって 、忘れられ消えていくもの。そのようなものと一緒に。われら、流れてもいるもののようでさ。
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いつでも、素直に動けるというものでもない。天の邪鬼。などという辺境住まいの生きものもいて、この土地はオレのもの、とふんぞり返っていたりすることもあるんだね。その鼻、潰してやろうか? 強硬に出たくもなる時もありますよ。だって、普通には良い人間らしく振舞いたいものだもんな。人の心情の良く分かる、心性の良い魅力ある人間らしくね。あんまり、逸れた処には行きたくないもんだ。でもそれがまた、むずかしい時があってさ。
(真新しく人の通行まだ許されないこの階段画像と、これらの言葉、無関係ですからね)
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消えていくことを忘れるわけにはいかないな。思いたくはないけれども、それはその通りなんだからねえ。そこに見えていたのが、いずれは再び戻れない消滅の場所へと、入りこんでいく。それは、別の何者かのことではなく、この自身を追ってのことであるんだけれどもね。ただ、今は、まだ、用向きあって、そこの角へと向かってなどいる。
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四国。こちらからは、遠い場所。一生行くことはないはずの土地。高校の時、修学旅行で小豆島まで行ったのが最も接近した経験か。もちろん、行けるものなら、行ってみたい。 その四国と縁のありそうな寺が、ここ船橋、自身の住まいの近隣にあるので、そこのことについて、触れてみたい。時たま通る道沿い。国道の14号から少し入った処にある真言宗の大覚院という小さな寺。門が赤塗りであることから「あかもん寺」という呼び名もあるようである。前の道から寺内を見ると本堂の前方、左側にこのような像が立っていて、目につく。
托鉢僧というふうであるのだが、少し高い位置に立つその像の下の周りには石畳が、敷かれている。それらの石に刻み込まれている、八十八の数字。
四国八十八カ所の霊場の数。それを見れば、ここにそれがある理由を思いたくなろうというものである。近隣に寺はあちらこちらにあるけれども、こうした模様を見る場所はない。この手前左には、それぞれの霊場、寺の位置が分かるように案内板が、立てられている。
はるか遠い土地、四国各県の霊場。映像で見たことのある模様と、その長い距離に思いを馳せながら、通りがかり、そのあかもんを入ってそれらの前で立ち止まる。一度だけ、八十八の石を踏んで、回ったことがある。それもめぐり体験になるのだろうか。15、6メートルだけの八十八カ所。想像するしかない、場所。
たまたま、また通りががりに寄ってみることのあったあとのこと、Open collegeにいる早稲田大学の方で、社会連携研究所主催の「四国八十八カ所遍路道から世界へ」と題された公開シンポジウムのあることを知り、関心を抱いた。4月25日の開催。その「世界へ」という部分にも、なにか展開のありそうな期待を感じて。NHKアナだった松平定知氏なども講師、パネラーとして参加。
「このシンポジウムでは、四国と結びつきの深い講師を招き、四国遍路道の研究をコアコンセプトにして、全国に広がる遍路文化、さらに世界の巡礼を見据え、現代の視点から道空間の多様性と社会性を捉えなおす作業を通して、社会との関わりの中でその成果を活かしていくことを目標とします」とその案内にはあった。 その内容がどうであったか。講師として、またパネラーとして話された方々の話。印象にのこることはむろんあったけれども、スクリーンに映し出されるさまざまなシーンの画像を通して知る、遍路道の模様に具体的に伝えられてくるものがあって、興味深かった。四万十川の沈下橋というようなものも、こちら知らなかったりで。 講師として出席された大橋一章教授は、四国高知の出身。遍路道そばで育ったことで、子供の頃家のそばを通るお遍路さんに、いくらかの食糧など渡すように母親に言われた時、それをするのがとてもいやだったと言った。お遍路さんの白い装束がこわかったと言った。そんなエピソードも、印象に残る。
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桜の花は、かなり散ってしまっていますね。でも良い日和。やってきている人、この画像に見える感じよりも多かったですよ。家族、友達、場所によっては多人数のグループで、そしてまたバーべーキューなどをやっている場所もありました。それから、サッカーボールを転がしたり、あれこれ、みんなで興じたり・・・・・・。 この公園は、内側が一帯このように広場になっていて、ちよっと高い位置にウォーキングコースというか、ジョギングコースというか、それがアンツーカーなど敷かれる形で取り巻いているわけですね。一周できるわけです。その一角で今日は、珍しくフリーマーケットが開かれていましたね。私は近くに行きませんでしたから、どのような品物が並べられていたのか分かりませんが、ともかく、コースを歩き、走る老若男女もまた、この日和のせいもあってか、結構いましたね。
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一昨年の4月にこちらの公園の桜を何点かブログ上に。それ以来です。前回は海老川沿いの桜並木の画像も一緒だったのですが、毎年そちらにも行ってきておりますものの、今年は、思えばここのところそちらの方には、足を向けていないようですね。昨日、日曜日の昼、上野に花見に行ってきました。「カラオケ・楽器演奏禁止」の看板がでておりまして、人であふれている園内に聴こえるのは人の声ばかり。とても良い感じでしたね、そうした雰囲気。ガンガン音楽の音がひびくというような型のにぎわいではなくて。 私の住まいから歩いて7、8分の、こちら長津川公園。屋台などがでるわけでもない。周りのウォーキングコースにあるテーブル、ペンチ。あるいはこちらが中心の、内に広がる芝生上に多く集う人々で、この公園ならではの花見ムードいっぱいだったようですね。
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花見day。広い公園内のこちらにシートを敷いて集ったシニアたち。全員六十半ば以上とも見える。良い時のことも良くなかった時のことも、苦労も、それはもう分かりあっているのさ。こんなふうにあったかく晴れた春の日に、一同介して、あれこれ語りながら飲む。気分良くないわけがない。 良いなあ。「和」、なんて。
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9世紀初頭に空海によって開かれた真言宗。その豊山派のこちら、お寺。 その山門。すべてのひとに、開かれて。錠前がかけられることもない。そうして、その外と内の空気は、同じでありません。同じとは、感じません。こちらの空気は、ひんやりとして浮き立つものを、鎮めようとするかのような作用をする気配思わせて、それ既に、なにか異うもの。そうして、沈む色調の重い周辺模様に包まれるようにして、進める歩。そのようなイメージ伴う、こちら。
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今朝のこと。ウィンドーの向こうに見える二人の人物。なにか、おかしい。そこに実際にいる気配。どうなのだろうかと近づいて行った・・・・・・・。いま改めて、このようにして画像を見てみると、向こうの壁に張られた写真であるのを、その時に確かめ見たはずであるのが、どうもそれとは別な形に映る。実際はどうだったのか。なにか、あやしい。
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そこに立つ。見る。ずうっと奥までの、深さの感覚。行ってみたくなる。それが行けども行けども、辿りつくことのない通路。その入口であるとしたら。などということを、ふいと思わないこともない。幾昼夜もかけて歩きつづける。その先に何があるのかを、知りたい一心で。そうして、ついには辿りついた先。だがそこはまた、新しい果てしのない通路の入口。限りなく繰り返され、終わりがない、ということが見えてくる。然様なパターンの想像。お話。よくありそうな展開のものではありますが、いずれにしても入口手前辺りで、向こうの様子を眺め、ちょいと想像を掻き立てられながらも、それを楽しむ程度にとどめて、通り過ぎる。そのあたりのところで、宜しいかと。
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今日、通りがかりに見た、近所の道路に面した建物前のこの模様。植込み、4、5メートルに渡る。毎年、このような具合に編まれる。相当に手間、時間のかかることに思われるけれども・・・・・・・。編むその人の根気に対して、敬意を払いたくなりますね。それと、興趣ある眺めを見せてもらえることに、感謝も、と言ったら良いか。
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確か、昨年の秋の頃。この場所で発生した交通事故によって、近くに住む男性が亡くなった。若い人だったのではないかと思う。その時には、沢山の献花、食べもの、飲みものなどがそこに供えられて、亡くなられた人が如何にみんなに慕われていたかを、思わせたものだった。その後も献花や供えるものの絶えることなく、人の心を感じていたものだけれども、今日気づいたことに、それが撤去されて、この貼り紙。 どうなんだろうか? いつも通る場所であるけれども、そこに献花他、壁沿いに置かれていた物が、何らかの障害があるように映ったことはない。むしろそのことで、人の心や、傷ましいことの起こらないことへの訴えのようなものを感じさせてくれるものとなっていただけに、放置物というような扱いを受けさせられることには、疑問を感じる。障害でもあるのであればともかく。心ある人の行為に対してとても冷淡、という印象は消えない。
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母親のMickyが、ペルシャ・トータシェル。だからこの一歳のBicとは全く姿が違う。別種という外見。でも、間違いなく親子。2009年3月16日。Bic、丸々と元気。、性格非常に良し。
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What would you do then? 雨も、過剰。それだけではない、強風も加わる。気力も、湧かない。という時には、What would you then? 壁を、見ている。そこに浮き出るMonsterめいたもの、左眼だけで、追う・・・・・。という辺りのところは抜けて、もうひとつ上の次元に突入。というのが、ベストなんだろうな。つまりは、四次元。
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狙われている、というのであれば姿を隠す。それも、ひとつの手。外歩くときには、顔見えないように、そこも覆う。それは、実に窮屈なことを強いられている状況ということになるでしょう。でも、まさかね・・・・・・・・・・。
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道沿いにある、とても古い小さな平屋の、かつてはなにかの店だった所。今は古び変色したカーテンが閉じられ、そこが出入りの所として使われている気配がない。カーテンの端が開いていたので、その間から中を撮らせてもらったのだが、なにか木工細工のもの、作られていたのだろうか? 今も作られているのだろうか? そのようなことを思わせる。かつては、狭いながらも店先であったはずのその場所。空間。いまも、そこで作業にかかるだろう人の思い。夢も、どこかに潜んだままであるのかもしれない。
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特別なことなど何もない。カフェのテーブル上。milkをこぼしてしまったんですねえ。それだけのことで、特別なことは、なにも無いのです。但し、このcolorのmilkはないでしょう。
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読み方の同じ、似たような文字。例えば、遍在と偏在。何故にこれほどまでに離れているのかと思えるほど、意味は遠くかけ離れている。正反対。 そうして、この遍在と偏在。人の心の在りようを問われることも多い方面、領域のことになったりもしますね。例えば、人間世界に非常に顕著な、偏った見方の刷り込み現象。それが見方を分けること、多いでしょう? そういうことなどもね。
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外壁滑らかであれば、そこに映るのは、傘の下の、U・・・・・・・。そういうことになるところが、まるで似つかないシルエットらしきものを、そちらはっきりと見ないで漠と感じたりなどなどしたら、それは次元を超えた世界入りのお話に傾くことになるのではない? そこに映るのは、「私」でなければならないのにね。ではあっても、妙な予感。ありえない予感を、時として覚えていたりすることもなくはないでしょう? 心の微妙な、危い揺れ、束の間あることも。
、
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だから、あちらになんか行かないで、ここで、ここ、この場所で、あちらと同じ、いやいやそれ以上の味わい深いものをせしめるために、ベストのものを投げ、ベストのものを受け止める、というあらぬ期待、あらぬ夢、いやいや、当然可能なそのことを、やろうという訳・・・・・・・・、とそこ行くアインシュタインらしき顔仮面を着けたPERSONが、のたまう。
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街の中とはいえこの辺り、住まいから7、8分も歩けば、田畑の広がる方面にも行けるということで、目下のところ私のウォーキングは、そちらエリア。大体、夜の7時前後のスタートということになりますので、その辺り一帯は、暗い。そうして、はるか遠く彼方に街の白や赤、青などの灯が横に帯となって並び、なかなかに素敵な夜景。で、歩く道は画像のような田の間の、道の真ん中は草ボーボーというような所だったりしまして。農家の軽トラが作る溝が左右にできていて、歩きやすい場所を定めないといけない。真ん中の草叢も悪くはないし、車輪の作った溝も、土が出ているから固くて歩き易くはある。というような具合なんですが、総じて一帯の私のウォーキングするコースは土の道ですから、雨の後などは泥濘でどうにもならない場所などもあるのです。行きかけて、引き返す。別の道を行く、ということになります。 人にも会わない。たまに車が通る。晴れた日などは、巻き上げていく土埃が大変な所などもあって、それはコンクリートの路に慣れた感覚には、考えられない状況。大体、一時間ほど、腕を振り速歩の態勢でやっておりますね。広い一帯田畑なので、見える空の範囲が、街中とは全く異なる。夜感じる、その夜空の広大さ。星。なかなかに良いもので。
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今の時期、各大学などでは、定年退職される教授方の最終講義が行われたか、行われるかしていることでしようね。先日ネットを通じて、昨年5月から7月にかけて明治大学のリバティアカデミーで講座を受講した時の教授の、最終講義が行われることを知り、そういう年齢になられていたのかという意外な思いと共に、長年教えていた場を去るというのはどんな心境、感慨を覚えるものであるんだろうということ、思ったりなどしたのである。そうしたことのあったあと、先週の初めだったか、昨年の12月にOpen collegeに入会した早稲田大学のホームページを見ていて眼にしたのが、定年教員の最終講義の知らせ。各教授の講義の中で関心を覚えたのが、佐佐木幸綱教授のもの。一般の人も受講可能という、開かれた形での最終講義ということでした。
和歌の方面に関心があったというわけではないのだが、たまたまその関係のものを読んだりしていたところだったのである。そのきっかけというのが、昨年の12月に早稲田のQpen collegeにやってきたさい、通りの古書店の店先で眼にした大岡信の著書。買うことにして、読んでいるうちに出てきたのが、連詩のこと。海外の詩人たちとも試みている。そうした活動にも触れて書いているのだけれども、元を辿れば、それは日本中世の連歌からの発想、表現行為。そんなことから、そういえば1996年に3年次編入で入って2年後に卒業した放送大学で、「中世の日本文学」という科目を履修したっけ。それを思い起こして、テキストをとりだして読みだした。当然、連歌、宗祇のことなども改めて記憶にとどめるような形になったわけだけれども、次のこととして、中でひとりだけ目下のところ最も関心の向くひとのことについて、もうちょっと知ってみよう。ということから、西行を選ぶことにしたのである。早稲田大学の最終講義のことを知ったのは、ちようどそうした状態の時。
申し訳ありません、と言うべきか。私、歌人佐佐木幸綱氏について、全く知りませんでした。サイトでお名前を拝見して、一目瞭然の佐佐木信綱につながるお名前。ああ、教授をしておられたんだ、と初めて知った次第。タイトル「早稲田・歌・二十五年」。その外見を想像してみたりもしながら、ともかくどのようなことを話されるのか、ひじょうに関心を覚えました。最後の講義、どのような思いをもってされるんだろうか。人生の中、70才という年齢で、その教授としての仕事の場を去るというのは、どのような感慨をともなうものなんだろう、などということも思い。当日は、始まる10分ちょっと前に政経学部の教室に。既に満席。こちらの腰をおろせる席などなし。後方、教室の角あたりに立っての受講。 登場された教授のお姿を拝見しての印象。バランスのとれた外見、温和、柔らかな雰囲気をもった紳士。若い時代、スポーツにも打ちこんだということです。そんな背景も身体的な部分にイメージなどしつつの、拝見。さまざまな短歌の賞を受賞され、日本芸術院の会員でもある人。でも、そうしたなにか、得ているものを外に見せつけようとするような感じは、与えない。そういうタイプの方ではない。謙虚で屈託のない、とても魅力的なお人柄、そうした印象でしたね。
お話されたことの中身。それは講義のタイトルからおおよそ察せられると思われるようなことになるわけですが、普段学生たちを前に講義のさいに話されることのなかったようなこと。最後の講義ということでありましたから、教授もそれを言われつつ、話されていましたね。1938年のお生まれで、1959年に早稲田に入っている、ということなんですが、他大学の附属高校からその大学に入り、それから浪人を経験して早稲田に入っている。その浪人時の後半、体がなまるのは良くないとボクシングジムに通っていたという話とか。早稲田文学の編集に関わる先輩たちとのエピソードとか、それはさまざまに。ともかく教授は、文学部ではなく政経学部の所属だったということで、普段の講義で話す内容、傾向も文学部の学生向けではなかったということもあったようで。 最後には、むろん花束の贈呈など。さわやかに終わりましたね。自身にとって、最終講義というようなそうした場、初めての経験で、記憶に残るものとなりそうです。
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僅か、数日前のことであるのに、この画像を撮った場所の記憶がない。欠落。思いめぐらせても、分からない。この場所に、現実にはいなかったのかもしれない。そちらに、飛躍してしまいたくもなるほど。
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昨年の当ブログ1月15日に、「冬の散歩道/サイモンとガーファンクル」という記事を書いておりまして、他にも書いたことがあるのですが、また彼のこと、そのアルバムBOOKENDSの中の曲のことに、ちょっと触れたくなりまして。 今日、見たいものがあって行った図書館。その書棚とは別な、展示されている様子の本の並びに、ポール・サイモンのものがありまして、開いてみると英語版の彼の歌詞集。というより、詩のアンソロジーと言ったほうが良いのかな。優れた詩人としての彼の作品が、まとめられているものであるわけですから。たまたま、最初にひらいたページにあったのが、Old friends。その歌詞を辿り、曲を思い起こし、それを書いた当時の彼の年齢を思い、そして、その中の言葉、How terribly strange /To be seventy 。現在の彼が、その年に近づいていること。そんな感慨めいたもの。こちらも、感じるものあって、ここでまた、その曲を、歌詞を辿ってみたくなったという次第。 1941年の10月13日、Newark生まれのポール。誕生月日が、私の父と同じ。両親はハンガリー系のユダヤ人だったんですね。BOOKENDSは、1968年4月3日のリリース。レコーデングには、その2年前の9月から入っていたということのようです。このレコード盤。当時、日本に帰ってきたアメリカ人の友人にプレゼントされまして、今も持っていますね。
Old friends
Old friends
Old friends
Sat on their park bench
Like bookends
A newspaper blown through the grass
Falls on the round toes
Of the high shoes
Of the old friends
Old friends
Winter companions
The old men
Lost in their overcoats
Waiting for the sunset
The sounds of the city
Sifting throuh trees
Settle like dust
On the shoulders
Of the old friends
Can you imagine us
Years from today
Sharing a park quietly?
How terribly strange
To be seventy
Old friends
Memory brushes the same years
Silently sharing the same year
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前にひらけている、新しい一年。まだ、踏まれていない。誰も通っていない時間。それぞれが、どのように通り過ぎていくことになるんでしょう。
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かなりの高さ。送電線の作業。こうした仕事に携わる人がいる。いやあ、大したもの。そこからの下の眺め。想像するだけでも、竦みそうな感覚になる。
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いつも、その前を通る。JR船橋駅へと向かう、道路。車道中心。両サイドの歩道は、非常に狭い。そんな道路沿いに、江戸の時代からあると思われる、昔からの地元民の墓地がある。そう広くはない。道路の手前に立っているのが、この石仏。宝永6年巳年(1710年)に建てられたもの。70センチほどの高さだろうか。既に、300年。鼻は欠け、石の表面も相当に変化を見せているけれども、時を経たその姿であるだけに、そこに漂わせるもの、刻み込まれているもの、こちらに印象深く感じさせるものがある。いつもその前に供えられている、季節の花。
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実のところは、好んで見たくなるような生きものではないですねえ。でも、Spider-Man などというのもいるわけです。今朝方見た、この小さな1センチほどの蜘蛛。マイペースの、別次元の時間を生きる、こちらもまた、命。
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こうして見ると、さまざまに手の加えられたものであることが、分かりますね。表面からでは分からない、それを取り去って初めて見えてくる、内側の部分。秘密を明かされたような、そんな仕組み。
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道路沿いに見えた、眺め。神社だとか、こうした社。風景の中で、異なる風情。時代を超えたもののある処ですからね。街の中では、本当に辺りの模様、どんどん変化して、何十年か振りかで訪れたりなどすれば、相当に様子が分からなくなっている、ということになるわけですから。時代を超えて変わらない、こうした姿の存在。必要に思えますね。
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いつも通る公園内。道脇の斜面には短かな階段。落葉に埋め尽くされているこの模様。いつもの年と変わらず。だが、これはこの年の、とこだわりたくなる思いも、覚えたりするもの。いずこの模様を見ても、これは今年の、「2008」という印をつけたくなる眺め、と。例え、見える眺めは変わらない模様であってもね。
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ここ、船橋。市立体育館のすぐ近く。沈む直前の太陽。この位置より、もうちょっと右側の位置になりますか。富士山の八合目より上辺り。その輪郭が見えることがあります。
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午前中、中山に行って昼前には馬券を買って帰ったのであるが、そのジャパンカップダートの馬券のこと。 昨夜、1着10番のカネヒキリを考えて、3連単、⑩ - ⑤・⑥ - ⑤・⑥・⑫ のフォーメーション予想をしたのである。今日、中山でそれを投票用紙に書きました。そのあとで、どうせ当たらないだろうと、なぜかその用紙、そのままバッグに入れてしまったのである。買ったのは⑤・⑦を軸の馬連流しだけ。帰り、買わなかった3連単の馬券。当たられると困るなと思ったのであるが・・・・・。 ご存知の通り、3連単は、⑩ - ⑤ - ⑥ でした。的中。69,460円。買っていたらな、と思っても後の祭り。 馬連の⑤ - ⑩、11,710円だけは実際に、買っていましたけれどもね。
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本日、土曜日。14、5年振りの新宿。もっと先に用があっての、途中下車での、暫しのぶらり。新宿三丁目で地下鉄を降りて、外に出ての印象。どちらがどちらだか分からない。四方、同じに見える。のんびりとした地方街からやってきて、ぎっしりと商業的ビルに埋め尽くされた街路に立って少々圧倒されたような感じ。日常的にその辺りにいれば慣れたものなんだろうけれども。そんな感覚のままに、ともかく中央通りに行くことを考える。伊勢丹の位置から、そこまでを記憶を頼りに、と思うのだが四方が同じように見えるものだから、判断もできない。でもともかく、これと思う方角に向けて、walkする。 結果、間違えることなく、この「らんぶる」のある中央通りに入ることができた。というわけなんだけれども、どうなんだろう? 「らんぶる」がなかったら、そこが中央通りであることさえ確認できなかったかもしれない。それほどに辺りは変化していたし、店の名前の記憶などもこちらには全然無くなっている。 「らんぶる」に最初に入ったのは、もう45年位前。高校の頃。店の感じは、むろん現在とは全く違う。クラシックを流すこの店の一階の一角には、「鑑賞室」などもあったもの。お金のない学生でも入ることのできるコーヒーなどの料金だった。色んな思い出がある。今日見たところ、コーヒーは550円。どうだろう? 例えば、学生が入るには高すぎないだろうか。やはり、現在の時代に合った形になっている、ということだろうけれども、ともかく店がそこにありつづけてくれている、というのは思い出のある者にとって、とてもうれしいこと。
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彼女の詩、小説。かつて、読んだという記憶がない。関心に入っていなかったというところだと思う。でも、記憶にないというだけのことで、例えば対談のようなもの、なにかの雑誌で読んだりしたことはあったのかもしれない。若い頃から知っているのであるから。 なにがきっかけだったんだろう? そうそう、図書館で借りた「表現の風景」という本。そのタイトルに関心を覚え、中を開いて面白そう、という印象抱いて。その一冊を終えてから、彼女の筑摩書房の彼女の全集の中から、エッセイの一冊を。彼女の世界に関心、興味を覚えたということ。なんで昔、彼女の書いたものに興味を向けることを全くしなかったのか、と改めて思えたほど。彼女の関心の向き。感性。その展開の仕方。なかなか良いではないか。そのようなことを感じ、思いつつ、ひとつ、またひとつ。それは、能力、才能あっての彼女のさまざまな成果。やっぱり並の人、並の女性とは異なる処にいるひと、というイメージはやはり、抱きつつ。あくまでも文学的才能の部分に対してということになるんだろうけれども、ともかくこのエッセイ本の中の、1992年、彼女56才の時の「犬の死──友人への手紙」。あれこれと読んだ中で、自身はこのエッセイの最後の部分に、最も感じるところがあったのかな。それは知性をもって見つめられたあれこれに触れたものではない、彼女の奥底から理屈なくあふれでてきた思いを感じさせる、本当のなにかだからではないかと個人的には。 17年間共に暮らした夫妻の愛犬、土丸(つちまる─ユニークな名前ですね)が亡くなる。命あるもの、いずれはその時を迎えなければならないとはいえ、失くした者にとっては辛い体験。このエッセイは、それから半年が過ぎたこととして、書かれています。そして、その最後の部分。
「犬が死んでからは、規則的に散歩しなくなりましたが、それでも夕方歩きたくなるとひとりで出かけます。近くの林や道はたいてい犬と歩いたところですから、ふいとナミダがあふれて、泣きながらあるきつづけていることがあります。」
生きている日々のこととして、とても分かり易く入り込んでくる思いを感じるのである。こうした部分がエッセイの中で、こちらにはとりわけ印象に残るものとなりました。
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新聞の予想などを見ていると、さまざまな馬の名が出て、強力な候補がいる一方で思わぬ馬にも、あるいはチャンスがあるのではないか、などと思わせたりという今回。でも、結局は強いGI馬が、上位を占めた。ということだけではなく、最後は牝馬2頭の、最終的には死闘をイメージさせる最後のライン通過。印象としては、ダイワスカーレット。数ミリかどうか、ともかく前にいたような感じ。こちらも、おそらくは3連単の馬券は外れただろうと思っていた。ところが、時間がかかったあとの写真判定の結果は、ウォッカ。2センチの差だったとか。インタビューに答えた武豊は「生きた心地がしなかった」、と結果を待つ間のことを言っていた。その判定写真を見てみたかったところである。今年のダービー馬ディープスカイ、3着。馬番3のエアシェーディの5着は、立派ではないだろうか。私は、3着あたりに入ってくるのではないかと、ちょっと期待をもって馬券に入れていた。このレース、人の記憶に長く残るものになるでしょうね。ウォッカとダイワスカーレット。名牝同士が見せた死闘。3着ディープスカイ、4着、残り最速で上がったカンパニー。いずれも、至近に迫っていたレースでもありましたけれども。
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本町通りにある、この店。いつの時代に建てられたものか、こちらには考え及ばないけれども、大正の頃まで遡ったとしても良さそうに思えるほどの、古めかしい造り。構え。商品の並べ方など、なにからなにまで時代の変化に関わりなく不変、という店の風情。もちろん、このような店が平成20年の現在、辺りに他にあるわけはない。その脇に掲げられた日の丸の国旗。白、そして赤。シンプルな二色だけのそれが、その旧い木造の構え、雰囲気になぜか似合う感じがする。遠い過去の風景を、眼前にできているようでもある。今日10月13日、「体育の日」。
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たまたま、今日浅草に行き、浅草寺の裏手に行った時に、広々とした広場が見慣れない造りのものに占有されてしまっている変化に、初めて気づいた。こちら手前側に、方向指示が見えて、「平成中村座」の正面口を示している。ああ、ここだったのか、平成中村座が作られた場所。と初めて知った次第。勘三郎さんが浅草への思い入れを話しているのを、ラジオなどで聞いたりなどしてはいたけれども、どうもちゃんと耳を傾けていたわけではないようで、浅草寺裏、というような知識もなし。考えてみれば、浅草といってもそこにしかスペースは、考えられない。 十月大歌舞伎の公演中。2日から26日。仮名手本忠臣蔵。勘三郎に、仁左衛門。浅草で歌舞伎なんですねえ。
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実はその週、新聞などでスプリンターズSの予想などがでるまで、スリープレスナイトのこと、こちら知りませんでした。どこかで名前はきいたかな、という程度のところで、普段限られたところにしか関心は向いていないというところなんでしょう。中山などには行きますが、いつも午前中で帰ってきてしまいます。メインレースの馬券などは買って。 個人的に中山のレースで関心があるのは、弥生賞、皐月賞、セントライト記念、スプリンターズS、それとむろん有馬記念。ただ、有馬記念はあの混みようですから、中山でレースを見ようとは思わない。午前中に行って、帰ってきます。レースはテレビで。とは言いながらも、他のレースも、帰って午後テレビで見ているというのがここのところの実状。 でも、今回のスプリンターズSだけは、午後出かけてレースも見てきました。シンボリグランあたりが、3着に食い込んできたら面白いと思っていたこちらの予想。個人的には、ファイングレンなども好きな一頭で、頑張ってもらいたかったんですが。 勝った14番のSleepless Night。クロフネの子が勝ったというのは、うれしいことですね。これまでの勝った重賞レースなど、相手に恵まれたところあり? というように見る向きもあったようですが、やはり強かった。
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浅草辺りが、好きである。運動を兼ねることができるので、自転車で行く方が多い。こちらから行くと、先ずは市川橋、江戸川区内に入って上一色橋。その次が江戸川区の平井と葛飾区の新小岩を結ぶ平井大橋。そして短い江東新橋。四つの橋を通る。 平井大橋は長い橋。荒川と中川放水路に架かる。 これは、橋の上からの上流側の眺め。
この右サイドを走っているのが、高速中央環状線。夜になると、高速のオレンジ色の灯りが、はるか向こうでカーブする先端まで点々とつづいて、眼にのこる夜景を見ることができるようになる。 ところで、通るたびに見てしまうのが、そのこちら、川との間に見える、ひとりがやっと横になれるスペースしかなさそうな手製の家。そうした場所であるから、電気も水道もない。
どういう生活なのか、想像ができない。 人の姿を家のそばに見る。
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今日は、セントライト記念の日でしたね。9番人気のダイワワイルドボアが勝ちました。一番人気のマイネルチャールズ、2着。ダイワはここ2戦、同じ2200メートルを使ってきていたということがありました。ひょっとすると、という印象、こちらにはありましたけれどもね。 いつものパターンで、3レースを終えたあたりで帰りました。メインレースはテレビで。 今日は、馬頭観音を撮っておこうかな、という思いあって、先ずはパドックそばのそちらに。 花が飾られ、この朝置かれたと思われるような果物も並べられて。
向かって左サイドには、このようにお香台も置かれて、お線香のけむりも。その先には、1Rの周回をするパドック。
右サイドにはお釈迦さま。
騎手たち、騎乗に向かう。
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道路沿いの家。平屋の玄関につづく、ずっとこちら手前に低い木造りの門がある。入って右側には、大きな温室。それのあるところが、他の家とはちがうところだろう。もう14、5年になるのだろうか。その家のあるじである人が亡くなったのは。その息子。今、50代と思われる。そこにひとり住まい。痩せて、健康に不安ありげな様子でもあったけれども、ぽつんと温室の中のベンチに腰を下ろしている姿を見かけることがあった。どこか寂しげに、なにかをするという気力思わせない風情で。家は蜜柑や柿、夏蜜柑などの木々に囲まれている。テーブルの上に、そんな果物がいくつか食べられるともなく、置かれていたりして。 2,、3週間ほど前、人が出入りできないほどに門の前の草が高く茂っているのを見て、初めて、そこが住む人のいない状態になっていることに気づいた。いつも脇の道路を通っていながら、全然気づかずにいたのである。 不在の理由。おそらくは、入院ということなのではないだろうか。病むところあって。人の姿が、無くなっている。それから時間が過ぎてきている。なぜかは分からない。道路と温室の間の垣根に生えているものたちが、覆うように伸び出している感じに映るのである。道路側にも伸びてきている。人の住まない家になっていることを、それと告げ知らせるかのように。 この画像の実。3、4ミリの小さな実。去年も、通りがかりに垣根のこの実を写した。そしてまた、今年も。
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総裁選。というのが、かつてないような顔ぶれ、つまりはええっ? このひとが? と思える登場者を合わせて、行われるところですね。初めてのことのように思えます。これまでであれば、縁のなさそうな人はやっぱりそこには現われていなくて、誰にも現時点で相応しいとは考えられていないような人は、その端にもいなかったということ。だから、別の場所で別のことをやっているはずのお方も、今回はおどろくべきことにそこに顔を並べている。まことに興味深い、光景。あくまでも、こちらの印象です。なにか日本の政治、諸々、どんずまりのところにあるように思えて仕方がない。ともかく、誇れるほどに進化した政治を期待。いつかの実現を、願いたいもの。
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浅草に出掛けた、変わらず暑かった日の今日。仲見世から浅草寺、そのあと六区でコーヒーを飲んでから、WINSにちょっと。1レースだけのつもりだったがとれたので、今日はツイているのかな、ともう1レースやってみることに。どうせ当たらないだろうと100円だけ、3連単も。他は枠連と、2頭軸の馬連。いつもとちがって、予想紙などは無し。場内に置いてあるレーシングプログラムと、モニターで見るオッズだけ。 で、その新潟6レースなのだけれども、レースを良くは見てはいなかったと思う。一番人気だった11番が直線で抜け出してきていて、やはりな、と思ったりなどしていたようだったが、ゴールに近づくところで追い上げてきた7番が差し切ってしまったあたりになって、ええっ? ということになってきた。7番をアタマに買っていたぞ、と。7-11と、当たっている。ゴールの画面に入っていなかった3着が、その前の映像で橙の帽子、7枠の馬だったというのが眼に残っている。そのあとの繰り返されたビデオ。見ていたらやっぱり橙。その馬番も見えてきて、14。つまりは、当たることなどあり得ないと思っていた一点買いの馬券の通りの、着順。5千円台の馬券ではあったけれども、3連単、一点買いでなど、初めての経験。レースのすぐあとでは、人気順など頭から消えていたから断トツの一番人気が負けたことで、これは良い配当になるかもなどと期待を抱いたものだが、分かってみれば人気サイド。でも、今はちょっとしかやらないこちらにとっては、めずらしくもあり、うれしくもある経験ができた、という思い。
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若い頃から、名前は知っていたしあるイメージは持っていたけれども、それほど良くは知らないままにきたというのが、実のところ。ただ、そのイメージは記憶の中にしっかりとありつづけたということで、その時間にはまた何かしらあるんだろうと思うけれども。 何年か前の年の終わり頃、、ビデオの貸出をやっている市立北図書館から、ルネ・クレール監督のフランス映画、「リラの門 Porte des Lilas」のVHSビデオを借りてきた。そこで見て、そして彼の歌を聴いて、シャンソン歌手Georges Brassensを漸くにして確かめ見た、というようなことになるだろうか。映画の最初の場面が映し出されると共に、彼の歌が聴こえてくる。曲は、Au bois de mon coeur。酒場の一角で、ギターを弾きながら歌う彼の姿が見えてくる。カウンター前に、友達のピエール・ブラッスール演じるジュジュ。客はもう誰もいない時間。誰に聴かせるともなく歌い、弾いているという、自分の世界だけがそこにあるという風情。役名は、アルティスト Artiste。芸術家という名前が合っている風貌を見せている。貧しいギター弾き。この映画、繰り返し見ました。返却日になると、また新たに借りる。50回以上は見たのではないだろうか。ブラッスールも好きだったし、ギターつま弾きながらのブラッサンスの歌も聴きたかった。それにフランス語への関心も湧いてきていた。モノクロの映画。
ブラッサンスは1921年の10月22日、南仏のモンペリエ近くの町で生まれている。この映画は1957年制作のものだから、この当時35、6才。生年を知る前には、40代に入っているのではないかと思っていた。額のあたりの髪は後退気味だったし、感情の変化を表情に見せない、思索家のような精神性を感じさせる雰囲気。映画を通して、ほんの僅かな笑みすら見せない、どこかいかめしくデリケートな内面を感じさせる男を、演じているのか、普段の彼もそれに近いのか、と想わせてしまうような印象。俳優というよりは、詩人であり歌手であるブラッサンスがその地のままに、なんとか演技をしているというところだったのだろうか。俳優であるブラッスールとは、対照的。その彼が歌う、何曲かの曲。これが、ブラッサンスなんだという思いで、こちらは関心をもって聴いていた。
ここにきてビデオで、彼の曲を聴いている。また聴いてみたい、ということからだったのだけれども、最初に聴いたのが、確かLes Passantes 。早いテンポで弾きながら歌っていく彼の曲のイメージとは異なる、抒情的に爪弾かれるギターのメロデーに、心をこめて言葉を区切るように歌いあげられていく、彼の晩年のものと思われるような一曲。1981年の10月29日に60才で亡くなっている彼だから、歌っている彼は50代。この曲に強い印象を覚えて、繰り返して聴きながら、映画「リラの門」の中で歌っていた Au bois de mon coeur、あるいは、La marine、Chanson pour l'Auvergnat など、あれこれの曲などを聴いてみた。ブラッサンスという人のイメージに、膨らむものがでてきたように思う。
彼が作曲をしたのは、およそ250曲。そのうちの50曲は未完成ということのようである。歌うスタイルは、ずっと変わらなかったのではないだろうか。ギターを弾きながらの、力のある強い投げかけをもって歌う半面、どこか内気、内省的なパーソナリティを感じさせもするステージパフォーマンス。そうしたスタイルというのか、本来の姿のままとも思える彼。 ある晩年のビデオで、それはステージではなく観客に囲まれながらの、トークも入る仲間たちと一緒の中のもので、そのひとりのリクエストで Les passantes を歌うのであるが、そこではちょっと笑みを見せる場面もあった。どこか抑えられた、控え目に見せているような笑み。印象としては、やっぱり映画の中でのようなArtiste、普段も芸術家風貌のちょっといかめしくとっつきにくいような彼なのではないかな、と思わせる、そんな変わらない彼がいつもいるような印象。もちろん、こちらは、その一端しか知らないわけであるけれども。
そのLes passantesを聴いていて感じたのだが、南フランス出身の影響濃いというその発音。一語一語区切るように、こちらには口真似のできないような微妙なフランス語発音をされるので、時によっては、ちょっとストレスを感じてしまいかねないところも初めの頃はあった。だが、思いこめて、刻み込むように歌いあげられているということでもある。まさに、ブラッサンスというところであるだろう。同じ曲を1958年生まれのFrancis Cabrelの歌できいて、こちらの滑らかな普通のフランス語の調子、そしてギターを弾きながらの曲に、魅了されてしまった。こちらに心地良さを感じて繰り返し聴くうち、歌詞にも慣れてきて、またブラッサンスの方を聴くと、今度は前と違って、とても分かりやすい覚えやすい発音に聴こえる。言葉を大切にする、彼を感じる。
ブラッサンス。彼の経歴なども読んでみる。ああ、そういう人だったのか、と思うことも多い。結婚は、望まなかったとか。独身人生。彼らしい一面を、そうしたところにも見ることができるのだろうか。フランスの生んだ歌手の中では、特別な位置を占めている人のように思える。他とは、非常に異なるその個性、魅力。
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どこだろう此処は? と思えるような眺めあるところかな。白雲なびく駿河台の明大なんですが、時代も変われば、高さも変じてくるもので、見下ろします。かつては無かった高さから。エレベーターは滑るように無音の中、はるか下方へと運んでくれます。当たり前のこと。下方突き抜けて、この惑星の反対側の表面にだって連れて行ってくれるさ。そこで、サンドウィッチでもいただこうかな。ちょっと固めのパンに白い雲の切れでもはさんで。格別な味がするはずだぜ。などということがある? 下を眺めていたら、クラッとして束の間、何処かしらに意識飛んでいた気分。というようなつまらないことにはひっかからないで、ここは思いきって、こちらのコモンからあちらのタワーに、胸すくジャンプをするくらいのことはね。簡単なことよ。突如思い出したけれども、こちら、超人。Sometimes。
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法務大臣が3人の死刑が執行されたことを、発表。幼児連続殺人、保険金殺人などによる。もうこの者たちはこの世には、生きていない。犯罪を犯してから短い方でも、ほぼ13年程が経過しているこの間に、どのような心の変化を辿ってきた者たちであったのか。幼児連続殺人を犯した45才は、最後まで反省、改心をすることがなかったと聞く。被害者の遺族は、謝罪というような僅かながらの慰めとなるものも与えられないままに、当人に消えていかれたことになる。その人間が、最早この世にはいない、という新しい現実。自身の見えないあちらのさる場所で、加害者が延々と生きつづけている、という状況からの変化。でも、変わることはなにもないのかもしれない。命を奪われた最愛の者が戻らない限りは。
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図書館から予約して借りたT・カポーティの「冷血」。1972年新潮社発行のもの。もう書棚には置かれていない状態にあったとはいえ、もう、ボロボロ。背表紙は半ばはずれ、持つ時に手で支えないと本が手の中で落ち着かないというような具合。借りる時にカウンターで、「普通こういうものは、コーティングしてしっかりさせるものでしよう?」と柔らかく言ったら、応対した女性。曖昧な笑みだけ。そういう応対しかできない立場のようで、こちらもあとは言えず。こういう黄ばんでヨレヨレになった本を、あんまり人前ではひろげたくないところだが、読むためにはそうもいかない。
昔からカポーティは、読もうとしたことがない。初期の「遠い部屋・遠い声」を読みかけた記憶があるけれども、その程度のところだったようである。なにかひとつだけでも読もうかと、思ったのが今回のきっかけ。「ティファニーで朝食を」あたりで、良かったのである。ところが図書館にはなさそう。検索結果、借りられそうなのがあってもタイトルを見て、気がひかれない。長いのは避けたかったのだけれども結局、貸出可能状態のものから、「冷血」にしようか、と。長いけれども、まあいいか、と。ちょっと前に某ブログで、これを勧めていた者がいたのである。面白い、興味深い、是非みなさん、読んでください、とちょっと熱っぽいふうに。かつて非常に評判になった本だから、こちらも内容はおおよそ察しがついていたんだけれども。
苦手な長編。すぐに読み終えることができて、それなりの感想を自身のうちでまとめられるタイプのもの、となると短編。それがこちらの好むところなのだが、ともかく、我慢の必要な長さの「冷血」。カポーティのイメージ、さして良い印象はない。長いのとつき合いたいわけではないが、ひとつくらいは彼のものをということでの今回である。この本があれほどに人気になったのは何故なんだろう? 読みながらそちらの方に思いが向く。ペリー、ディック二人の男による、四人の一家殺人。現実に起きた事件。それを作家が本腰を入れて取材に取材を重ねて、仕上げていった小説。読者が抱いた関心、分からなくはない。かつてそれが評判になっていた頃、自身がその小説に抱いたイメージ。見てみたいというのは、あったように思う。そして、現在の自身。犯罪を巡るものに気持を移入できるものがあるかどうか。そこのところに行く。この本に入り込んでいけるかどうかは、ということはあるのだった。
実際の事件に取材したノンフィクション、というよりは立派に小説作品。さすがカポーティ、と思わせる内容になっているんでしょう。綿密に描かれている。各人を巡ること。この事件に関わる人それぞれについて。だが、どうもこの二人の犯罪者に関心が持てない。なにを考え、感じ、行動をし、生き、どこに辿りついたのか、知りたくもない人間のことのように思えてくる。だが読み始めたものは、最後までいきたいという思いあって、犯罪者、犯罪に対する反感のようなものを覚えつつも、読み進める。某ブログでこの本を勧めていた者などからは遙かにかけ離れた、関心の向け方、抱き方になっていたこと明白。
そんなふうに読んでいる時、秋葉原で通り魔殺人。そうして、犯罪者についてあれこれ、言われ始める。強い関心が向けられる。その人間について。その犯罪者を生んだ背景について、諸々。やっぱりこちらは、これも知りたくもないタイプの男、人間と見ている気配。 だからといって、それだけで終わるものでもないんだな。本のことにしてもね・・・・・・・・・。
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